氷河期のピークを、人はどうやって生き延びたのか

私たちの体には、寒さと戦うためのスイッチが2つあります。
真冬の屋外で、歯がカチカチ鳴るほど体がブルブル震える——あの震えは、筋肉を細かく動かして熱を作る、いわば体の「緊急ヒーター」です。
ただ筋肉を動かす震えによる発熱は体力を激しく消耗し、震えている間は狩りも道具作りも思うようにできません。
そのため、ヒトの体にはもうひとつ、震えなくても熱を作れる隠れた暖房システムが備わっています。
それは褐色脂肪という特殊な脂肪組織で熱を作る「震えない発熱(非ふるえ熱産生)」です。
この方法では脂肪を静かに燃やしながら体温を保てるため、体力を温存したまま日常の活動を続けられます。
この隠れた暖房システムが人類史上もっとも試されたと考えられるのが、今から約2万年前、氷河期のピークにあたる最も寒い時期(最終氷期最盛期)です。
地球全体が冷え込んで海面は今より約100メートルも低下し、人々は毛皮の衣服や火、住まいといった工夫を頼りに、現代とは比べものにならない極寒を生き抜いていました。
ここで、昔から研究者たちを悩ませてきた疑問があります。
人類はこの過酷な時代を、衣服や住居といった「文化の工夫」だけで乗り切ったのでしょうか。
それとも、震えない発熱のような体の仕組みそのものも、寒さに合わせて進化したのでしょうか。
この疑問に答えるのは簡単ではありませんでした。
氷河期当時を生きた人々の骨は世界的にも乏しく、DNAを直接調べる手段が限られているからです。
そこで研究チームが注目したのが、縄文人でした。
チームが日本各地から出土した縄文人骨42体(うち25体は今回新たに解読)のゲノムを統合解析したところ、縄文人の祖先は約2万7000年〜1万9000年前、まさに氷河期の最も寒い時期に大陸の集団から分かれた系統であることが示されました。
加えて、氷河期が終わって気温が上がると、海面の上昇によって彼らは日本列島に閉じ込められてしまいます。
この状況では、外から新しい人々が入り込みにくいため、氷河期サバイバーの特徴が薄まりにくく、長く受け継がれていくと考えられます。
言うなれば縄文人のDNAは、氷河期を生きた人々の姿を封じ込めた「遺伝子のタイムカプセル」だったのです。
では、そのタイムカプセルには何が残されていたのでしょうか。
縄文人の先祖に起きた急激な進化

研究者たちが縄文人の遺伝子を調べると、まず見えてきたのは、寒さと戦うための”装備一式”でした。
縄文人は、先ほどの「震えない発熱」に関わる遺伝子(UCP1、FTO、APOA5など)の変異を、際立って高い頻度で保有していたのです。
発熱の主役である褐色脂肪は、脂肪を燃やして熱を生む、いわば”体内ストーブ”。
まず、ストーブ本体で熱を生み出す役割を担う遺伝子(UCP1)の変異は、縄文人では67〜72%という高い頻度で見つかりました。
現代東アジアの47〜53%を上回る数値です。
さらに際立っていたのが、残る2つでした。
ストーブへ燃料の脂肪を送り届ける遺伝子(APOA5)の変異は、縄文人では89%という頻度に達しています。同じ変異は現代東アジアでは29%、寒さの厳しいシベリアや南北アメリカの先住民でも30%前後、ヨーロッパにいたってはわずか8%です。
そしてストーブの火力そのものを高める遺伝子(FTO)の変異も縄文人では73%を占め、現代東アジアの17%を大きく引き離していました。
この2つはいずれも、現在世界で知られている中で最高の頻度です。
熱を生む本体があり、燃料が絶えず届き、火力も上がっている——縄文人の体には、寒さをしのぐための仕組みが幾重にも積み上げられていたことになります。
ここで自然な疑問が浮かびます。
日本列島は、それほど過酷な土地だったのでしょうか。
実は、カギを握るのは「場所」ではなく「時代」でした。
この体質が作られたのは、温暖な縄文時代が始まるずっと前——祖先たちが氷河期の極寒とぶつかった時代だったと考えられるのです。
縄文人のルーツは、今から約5万年前、アフリカを出てユーラシア大陸の南側を東へ進み、今の東南アジアあたりにたどり着いた人々にさかのぼります。
そこは一年を通じて暖かく、寒さに強い体などなくても困らない土地でした。
しかしその子孫の一部は、世代を重ねながら少しずつ北の土地へと生活の場を広げていきます。
そして運悪く、北上の先で待っていたのが、約2万6000年前から始まった氷河期のもっとも寒い時期だったのです。
南国育ちの体のまま、突然の極寒というわけです。
この状況では、たまたま「脂肪を燃やして体を温めやすい」遺伝子変異を持って生まれた人は生き延びて子孫を残しやすく、持たない人は厳しい冬を越えにくかったはずです。
南国に適応した祖先にとって「震えない発熱」の需要は急速に高まりました。
環境変化がもっと緩やかなら、あるいはベースの体が南国育ちでなかったなら「震えない発熱」以外にも頼る方法があったかもしれません。
しかし私たちの祖先を襲った急激な寒冷化は、あれこれ選ぶ余裕を与えてくれませんでした。
その結果、生き残った人々の子孫の中では、「震えない発熱」を強化する変異を持つ人の割合がどんどん高まっていったと考えられます。
こうして耐寒型の変異を色濃く受け継いだ人々が、のちの縄文人となっていきました。
そして約1万9000年前、氷河期のピークが過ぎて気温と海面が上昇して大陸との道は水没し、彼らは日本列島に閉じ込められました。
こうした小さく孤立した集団では、外から別のタイプが流れ込みにくいため、いったん広まった遺伝子タイプが薄まりにくく、長く保たれていきます。
世界最高頻度という驚きの数値は、極寒が命の選別を通じて刻んだ跡と、島に取り残されたという偶然が重なった結果だと考えられるのです。
そしてこのストーリーは、単なる推測ではありませんでした。
研究者たちが「変異がいつ広まったのか?」という時期を調べたところ、APOA5の変異が急速に増えたのは、まさに氷河期の寒さが続いていた時代と一致していることがわかりました。
そして約1万年前を境に気候が暖かくなると、その勢いは弱まっていました。
寒い時期に勢いよく広まり、暖かくなると減速する。
これは、偶然に残ったのではなく、寒さがこの変異を後押ししていたことを示す有力な証拠です。
古代人のDNAから氷河期の体の変化をここまで具体的に描き出した研究は世界でもほとんど前例がなく、今回の成果はその先駆けといえます。
進化の軌跡は現代日本人にも引き継がれている
そしてこの物語は、2万年前で終わりません。
現代日本人は、縄文人と、のちに大陸から渡ってきた人々との混血の子孫です。
つまり氷河期仕様の遺伝子の一部は、いまを生きる私たちの体にも受け継がれています。
ただ危機の時代を乗り切るための変異は、現代において問題にもなり得ます。
近年の研究では、縄文人由来の遺伝的要素を多く受け継ぐ人ほど、肥満になりやすい傾向が報告されているのです。
脂肪を効率よくため込み、熱として無駄なく使う能力は、寒さと食料難が続く氷河期には命綱だったと考えられます。
ところが暖房と飽食に囲まれた現代では、同じ能力が余分な脂肪をため込むリスクへと姿を変えてしまうのです。
飢餓の時代に有利だった「倹約型」の体質が、豊かな時代にはあだになるという「倹約遺伝子仮説」と重なる構図です。
もっとも、研究チームは慎重な姿勢も崩していません。
2万年前の人々の食生活や環境は現代とあまりに異なるため、当時の体の働きを復元する解釈には推測が残ると述べています。
それでも研究チームは、縄文人ゲノムが日本人のルーツを知る資料であるだけでなく、氷期を生きた人類の進化と適応を封じ込めた「ゲノムのアーカイブ」であり、現代人の体質や健康を考える手がかりにもなると述べています。
もし周りの人が寒がっているなかで、自分だけが妙にポカポカしているなら、縄文人から受け継がれた、耐寒能力が一役買っているのかもしれません。
コラム:ホモ・サピエンスと日本

現在の本州・四国・九州にあたる古本州島に、ホモ・サピエンスが現れたのは約3万8000年前です。
ところが今回、縄文人の祖先が大陸の東ユーラシア人から分かれた時期は、約2万7000~1万9000年前と推定されました。最初の人類到来から、少なくとも約1万年後です。
では、最初に列島へ来た人々と、縄文人の祖先はどうつながるのでしょうか。
旧石器時代人のゲノムがまだ得られていないため、直接の答えはありません。ただ今回の結果は、縄文人が、大陸集団から分かれて日本列島へ定着した後期旧石器時代人の子孫であることを支持しています。
ここで重要なのは、寒さへの適応が列島内で突然始まったわけではないことです。
FTO、UCP1、FADS2などの変異は、縄文人だけでなく、南方系のアンダマン諸島人でも高い頻度を示しました。縄文人の祖先は、まだ暖かい地域にいたころから、エネルギーを蓄え、効率よく使うための「持ち込み装備」を備えていた可能性があります。
その子孫の一部が東アジアを北上し、氷河期の寒さに直面しました。
すると今度は、脂肪の利用に関わるAPOA5や、寒さの感覚に関わるTRPM8の変異が、比較した集団の中では縄文人だけで高頻度になっていました。APOA5では、氷期中に変異の頻度が急速に上昇したことを示す痕跡も見つかっています。
つまり縄文人の寒冷適応は、南方時代からの「持ち込み装備」に、北上後の「寒冷地仕様」が加わった二段構えだったのです。
ただし、この上積みがどこで起きたのかまでは分かりません。
縄文系統が大陸集団から分かれ、列島へ定着した時期と寒冷適応が強まった時期は重なっています。しかし、氷期当時のゲノムがないため、大陸を北上する途中だったのか、列島へ入った後だったのかを切り分けることはできません。
現在のところは、「東アジアを北上し、日本列島とその周辺へ定着する過程で適応が積み重なった」と考えるのが妥当でしょう。
さらに北海道では、別の歴史も見えてきました。北海道縄文人は、本州以南の縄文人から約1万~8800年前に分かれたと推定されています。
氷期後に本州由来の縄文人が北上し、北海道の旧石器人を置き換えた可能性が高いのです。研究チームは、ほとんど遺伝的な痕跡を残さなかった先住集団を「ゴースト集団」と呼びます。
「縄文人」とひとくくりに呼ばれる人々も、1万年という時間と列島の広がりのなかで、実際にははるかに多様な顔ぶれだったのかもしれません。
列島各地の旧石器人からDNAが得られれば、最初の列島人と縄文人のつながりだけでなく、人類が寒さへの装備をいつ、どこで磨き上げたのかも見えてくるはずです。





















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>「まだ暖かい地域にいたころから、エネルギーを蓄え、効率よく使うための「持ち込み装備」を備えていた可能性があります。」
何故?
普通だったら退化する機能だと思うのだが。
逆に寒い日本から南へ渡った可能性もあるよね。
狩猟採集では、獲物が取れる時期と取れない時期により食事の量や質が大きく変わるため、食いだめできる体質が生き延びたのではと考える