イタリア右翼政党への反動としてのブルーノ
その後ブルーノの著作は、キリスト教の考えから逸脱しすぎているとの理由で禁書目録に加えられてしまいます。しかしそれでも、ヨーロッパの自由思想家たちによって細々と読み継がれてきました。
ブルーノの思想は彼の強い意志と同様に、一貫したものです。それはカトリックとプロテスタントとの間にある溝を無くし、当時ヨーロッパ中で問題視されていた宗教的分裂を解消すること、そして多様な民族をひとつに取りまとめるというものでした。その目的のため、彼はエリザベス一世に直接謁見して、支援を頼み込んだこともあったようです。
厳しい弾圧の中でも自分の主張を曲げず、世界の平和を願い続ける姿勢は、現代のイタリアにおいて重要性を増しています。というのも、現在イタリアの右翼政党が取る「反移民」の方針に対して、ブルーノの「民族への寛容さ」が大きな影響を及ぼし始めているのです。
また政治面だけでなく、一般市民にとってもブルーノの「自由意志」の尊重と「忍耐」が注目を集めるようになっています。現在イタリアでは毎年2月17日になると、ローマにあるカンポ・ディ・フィオーリ広場のブルーノ像に人々が集まり、献花をする運動が恒例化しているほどです。
過去、命と引き換えにしても守り通した彼の思想。それが今、精神的な強さを表すものとして、現代のイタリア市民の内に花を咲かせ始めたのです。