■1600年に異端思想で火あぶりの刑にされたジョルダーノ・ブルーノが、現在、イタリアで「自由意志」と「寛容」のシンボルとなっている
■厳しい弾圧の中でも、意志を曲げなかったことが、イタリア市民に対して大きく影響し始めている
■さらに、民族間の平和を祈る「寛容さ」が、イタリア右翼政党の「反移民」方針の見直しを助長する鍵となっている
2月17日は、イタリアの哲学者であったジョルダーノ・ブルーノ(1548年〜1600年)の命日でした。彼は、1600年に、異端思想のかどで火あぶりの刑にされて以来、長きにわたりカトリック教会からその功績をひた隠しにされてきた人物です。
しかし彼は現在イタリアで、「自由意志」と「寛容」を象徴するヒーローとして讃えられ始めているようです。死後400年以上も経った今になって彼が注目を浴びるようになった背景には、一体何があったのでしょうか。
「私よりも君たちのほうが恐怖に震えているじゃないか」
ブルーノの人生は波乱万丈で、その半生は放浪生活に費やされました。1576年にはすでに異端思想の嫌疑をかけられて、92年までナポリからローマ、スイス、フランス、イギリスとヨーロッパ各地を転々とします。その原因は、彼が「地動説」を支持したこと、そして当時有限であったと考えられていた宇宙観を「いくつもの世界を内包した無限なもの」と主張していたことでした。
1593年、ついにブルーノは、神学教義に反する主張や神への冒涜といった理由で捕まり、7年間も獄中生活を送ることになります。
ブルーノは異端審問の際、自説を全面的に撤回するように命令されましたが、これを断固として拒否。結局ブルーノは、刑執行の直前になっても自らの意志を曲げようとはせず、ローマにあるカンポ・ディ・フィオーリ広場にて火あぶりの刑に処されてしまいます。
刑を目撃した学生の手記には、ブルーノが口にした最後の言葉が記録されています。
「私よりも宣告を申し渡した君たちの方が恐怖に震えているじゃないか」―
彼の意志の強さが、すべてこの言葉に凝縮されているといっても過言ではないでしょう。