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失われた「日本人村」がカナダの森の中で発見される

2019.09.05 Thursday

Credit:smithsonianmag

Point

■カナダにあるノースショア山脈の森で、日本人が住んでいたと思われる村の遺物が発見される

■1877年に日本から移住した人々がこの地に住み着いて、1918年にノースショアの一区画に居住権を獲得している

■第二次大戦中に高まったカナダ人の反日感情により、日系カナダ人のおよそ9割が戦時中にいなくなっている

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カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるノースショア山脈の森の中で、約100年前の「日本人村」が発見されました。

発見者はバンクーバー・キャピラノ大学の考古学者ロバート・マックル教授。最初に形跡を見つけたのは2004年で、研究場所をこの地に移した直後に、和製の陶器やノコギリ刃が複数発掘されました。

その後、マックル氏は研究室の学生と一緒に14年をかけて発掘作業を行い、およそ1000以上の陶器や茶碗、酒瓶、湯呑みを発見しています。さらに、同地では小屋や庭園、木製の貯水池、神社のような建物が合わせて14見つかっており、かつて日本人が住んでいたことが特定されました。

マックル氏は「日本から移住してきた人々が、少数でこの地にひっそり暮らしていたのでは」と推測しています。

19世紀末に移住した日本人の村だった

この地は、バンクーバーの北東19km地点にある「ローワー・シーモア・コンサベーション保護区」の敷地内に位置していることが分かっています。

歴史的な記録によると、日本からカナダへの移住が初めて確認されたのは1877年のことです。この移動により多くの日本人が、ブリティッシュ・コロンビアの沿岸部に住み着いたと言われています。

その後、1918年に「かげつえいきち」という日本人が、ノースショアの一区画に居住権を獲得しました。一方でマックル氏は、「1920〜40年代のバンクバーバーにおける激しい人種差別的な社会背景を考慮すると、この地に暮らした日本人は果たして幸せな人生を送れたのだろうか」と疑問を呈しています。

ロバート・マックル教授/Credit:nsnews

移住当初は日本人も、地元民の厳しい敵意と人種差別に直面していました。当時のカナダの政治家は、アジア系の国民に選挙権を与えておらず、公務員や国の仕事に従事することも許されていなかったのです。

こうした反日差別は、第二次大戦中に起こった日本軍によるパールハーバー奇襲(1941年12月)を受けて激化します。さらに日本軍が香港に進軍して、同地に駐在していたカナダ人兵士を殺した事件も反日感情に拍車を掛けました。

日本からの移住民/Credit:nsnews

カナダ人は国内に居住する日本人を不当に逮捕したり、日本人の所有するボートを破壊したり、日本語学校を閉鎖するなどの行動が記録されています。

その後1942年に、太平洋岸はおよそ160kmに渡り保護区域に指定されました。すると同地に住んでいた日本人は追い出され、男性は道路工夫として労働を強制され、女性と子供はブリティッシュ・コロンビアのゴーストタウンに隔離されてしまいます。

人種差別の激しさは、「戦時中におよそ9割の日系カナダ人がいなくなった」と言われているほどなのです。

発掘作業を行う研究室の学生たち/Credit:nsnews

それ以後、ノースショアの日本人村に住む人はいなくなり、その子孫も記録としては残されていません。宿主がいなくなった日本人村は、半世紀以上にわたり、誰かに見つけられる日を待ちわびていたのかもしれません。

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reference: smithsonianmagnsnews / written by くらのすけ

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