生涯イギリスを出なかった大学教授ニュートン
1642年、ニュートンはイギリス中部のウールスソープという小さな村の農家に生まれました。叔父の援助を受け、1661年からケンブリッジ大学に入学します。
しかし、1665年頃にペストが大流行。大学は閉鎖され、故郷の村に帰らなければならなくなりました。
過去ナゾロジーでも記事にしたとおり、ニュートンはその外出自粛の時期をうまく活用し、微分積分法や万有引力の法則を発見します。
その後1667年に大学に戻り、1669年にケンブリッジ大学教授となりました。教授職は、彼の師匠バローから譲り受けたもの。バローは、ニュートンの才能を高く評価し、自身の地位を譲ったのです。
ニュートンは「自分の見つけた新しい業績をどんどん世に出したい!」と急ぐタイプではなかったようです。彼の主な著作「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」は近代科学の最重要文献として有名ですが、これも天文学者ハレーに説得されて書かれたものでした。
ニュートンは、ケンブリッジ大学教授だけでなく、議員や造幣局長官も務めました。ありあまる才能と立派な地位を持つニュートンは、まさに英国民のヒーロー。亡くなったときは、盛大な葬儀が行われ、ウェストミンスター寺院に葬られました。歴代の王や女王、偉大な著名人が埋葬される寺院です。
彼は生涯イギリスを出ることなく、84歳で生涯を終えました。