合体の音色からブラックホールの二大予言を検証する

私たちの宇宙には、光さえも逃げ出せないほど重力が強い「ブラックホール」と呼ばれる天体があります。
その名の通り真っ黒で、直接見ることはできません。
しかし、その強い重力の影響は宇宙空間の『時空』そのものを歪ませ、ブラックホール同士が近づいて衝突すると、巨大な宇宙の湖に石を投げ込んだような『波』が発生します。
この波こそが「重力波」と呼ばれるもので、まさに宇宙が私たちに届ける「さざ波」です。
重力波の存在を科学者たちが本当に確かめたのは、2015年のことでした。
アインシュタイン博士の時代から100年越しで実現したこの発見は、「LIGO」というレーザー望遠鏡によるものでした。
LIGOは、4kmという途方もない長さのレーザー光線を2本交差させ、宇宙からの微かなゆがみを敏感にとらえます。
2つのブラックホールがくるくる回って合体し、「ゴゴゴ…ピョン!」とチャープ音のように高まる重力波が初めて記録されました。
この時から、「重力波天文学」というまったく新しい分野が生まれ、宇宙の裏側まで“聴く”ことができる時代が始まりました。
そして2025年。
科学者たちは再び特別な重力波信号に出会いました。
「GW250114」と名付けられたこの合体イベントは、2015年の初観測にとても似ていましたが、観測された信号は格段に鮮明でした。
信号対雑音比(SNR)は約80。
これは、2015年の約26と比べて3倍以上の明瞭さです。
「今までで一番クリアな重力波」ともいえるこのデータは、宇宙の根本的なルールを検証するための夢のような材料となりました。
科学者たちの関心は、「ブラックホールは本当に物理学者の予言通りのふるまいをするのか?」という疑問に集まりました。
まず注目されたのは、「ホーキングの面積定理」と呼ばれるルールです。
ブラックホールには「事象の地平面」という、逃げられない壁のような境界があります。
ホーキング博士は「ブラックホール同士が合体すると、この壁の面積は必ず減らず、合体前より大きくなる」と予言しました。
「本当に面積は減らないのか?」という問いは、物理学の土台を揺るがすほど重要です。
面積定理がユニークなのは、「熱力学第二法則」という“宇宙の散らかり具合は常に増える”という法則と密接につながるからです。
ホーキング博士はブラックホールにもエントロピー(乱雑さ)の概念を導入しました。
つまり、ブラックホールの表面積が絶対に減らないことは、宇宙全体の乱雑さも絶対に減らない――そんな壮大な対応関係が見えてきたのです。
この「乱雑さ」が実は“情報の保存”ともつながっています。
物理学では、どんなに激しい現象が起きても、宇宙のすべての情報は本質的に消え去ることがない、とされています。
たとえば紙を燃やしても、燃えカスや光、熱の形で“情報”はどこかに残ります。
ところが、ブラックホールは何もかも飲み込んでしまい、表面の向こう側の情報が本当に消えてしまうのでは?――そんな不安が長年議論されてきました。
ホーキング博士の面積定理は、表面積が絶対に減らない=エントロピーが減らない、という法則が宇宙で守られていることを示し、「ブラックホールの中の情報も本当は“どこか”に残っているはずだ」と私たちにヒントを与えてくれます。
こうした理論は長らく“机上の空論”として語られてきました。
観測で確かめるには十分にクリアなデータが必要だったからです。
実は2021年にも、最初の重力波データを使った検証がありましたが、その時は信頼性が約2σ(97%前後)にとどまり、確証には至りませんでした。
またブラックホールにはもう一つ、“髪の毛一本生えていない”ほどシンプルな天体だという別の理論があります。
星々は温度や成分、年齢や大きさなど実にたくさんの個性を持ちますが、ブラックホールはそうした情報をすべて失って、「質量」と「スピン(自転)」だけで語れる究極に単純な存在だ――それが「カー解(Kerr解)」という理論です。
これを科学者たちは「ブラックホールには毛がない(No hair)」と面白く表現します。
では、ブラックホールが本当にこのようにシンプルな姿だとすると、一体何が観測できるのでしょうか?
ブラックホール同士が合体して新たなブラックホールが生まれると、そのブラックホールは激しく揺れながら重力波を発します。
この合体後のブラックホールが揺れながら出す重力波の「音色」(周波数や響き方)は、ブラックホールの質量とスピンだけで完全に決まるはずです。
一方で、もし見えない毛や新しい物理法則が潜んでいれば、その音色は理論とはズレるはずです。
今回の超高精度データは「ホーキング博士の面積定理」と「ブラックホールの特徴の少なさ」を確認できるまたとないチャンスでした。