広島の原爆が生んだ「ヒロシマアイト」という物質

1945年8月6日、原子爆弾は、市街地の上空およそ600メートルで炸裂しました。
威力はTNT火薬にしておよそ1万5000トン分。生まれた火の玉の温度は、摂氏7000度を超えます。
太陽の表面がおよそ5500度ですから、太陽より熱い球が、街の真上に現れたことになります。
この熱の前では、硬いものと柔らかいものの区別はありません。
火球に近いところでは、鉄骨も、ガラスも、瓦も、土も水も、固体のまま残ることを許されませんでした。
火球に巻き込まれたのは物質だけではありません。そこには人の暮らしと命がありました。
この爆発により、その年の暮れまでにおよそ14万人が亡くなったとされ、市内の建物の約7割が破壊・焼失したとされています。
そうして原爆の熱はあらゆるものを気体、さらには電子がはがれたプラズマの状態にして、空高く立ちのぼる雲に変えていきました。
しかし蒸発した物体は、そのまま消えたわけではありません。
火の玉がふくらみながら冷えていくにつれ、気体は小さな液の玉に戻り、そのまま固まって、広島一帯に降り注ぎました。
砂粒ほどのガラス質の玉です。
2019年の研究で初めて報告され、研究上「ヒロシマアイト」と呼ばれるようになりました。
固まるまでにかかった時間も、すでに見積もられています。
2024年の研究のモデルによれば、大部分が固まったのは、雲がおよそ2900度から700度まで冷える間のこと。時間にして、1.7秒から5.5秒です。
まばたきほどの間に、蒸発したガラス質の中にさまざまな元素が取り込まれ、ヒロシマアイトになりました。
今回の研究を行ったビンディ氏は、この火の玉を「巨大な偶然の物質科学実験室」と呼び「火の玉は、それまで存在しなかった物質を残していきました」と述べています。
街を構成していた鉄や銅、アルミニウムといったさまざまな金属が、僅かな時間で急速に固まって、小さな粒の中に閉じ込められました。
悲惨な出来事が、結果として稀有な現象を残したことになります。
こうした条件は、実験室でそのまま再現することはできません。
だとすれば、まだ誰も見たことのないものが混ざっていてもおかしくない——研究者たちはそう考えました。































