主人が死ねば、自分も死ぬ
安陽市の文物考古研究所は、2019年10月〜2021年12月にかけて、同地での発掘調査を行いました。
その結果、これまでに大型建築物の基礎が18カ所、墓が24基、戦車が6台、それに青銅器や陶器、武器、遺骨などが70点以上見つかっています。
発表によると、兵士の遺骨の中には貝殻で飾られた帽子をかぶっていた者、馬の額には金のベニヤと青銅で装飾されていた骨があったという。
注目すべきは、墓の一部から「冊(册)」の文字が刻まれた甲骨文が出土した点です。
甲骨文は現在見つかっている漢字の最古の形態とされる古い文字の記録で、亀の甲羅や牛の肩甲骨に刻みつけていたためこの様に呼ばれています。
この記録について、同研究所の孔徳銘(Kong Deming)所長は「この墳墓が冊氏一族のものであり、回収された数々の装飾品から、冊氏一族が非常に裕福な豪族であったことが示される」と説明します。
加えて、「これは安陽の古代遺跡の中では珍しいもので、戦車の所有者(冊氏一族)の並外れた地位と権力を反映している」とも述べています。
また、これらの甲骨文は中国最古の文献の一部であり、きわめて貴重な資料です。
さらに調査チームは、出土した兵士や馬の遺骨について、生きたまま生け贄にされたものと考えています。
というのも、紀元前1600年〜紀元前1046年まで続いた殷王朝では、身分の高い主人の葬儀の際に使用人が切腹したり、生き埋めになることを自ら志願する風習が一般的にありました。
ペンシルベニア州立大学(PSU・米)の先行研究によると、殷王朝では、大規模で組織的な人身御供が政治的・宗教的に重要な見世物として機能していたという。
殷の遺跡から出土した甲骨文には、特に人間の生け贄に関する文字を含むものがとても多いです。
また、これらの遺跡から多数の生け贄のための墓が発見されていることも、この記録を裏付けています。
以下は、同大が発表している「人身御供」について記載された殷時代の甲骨文です。
権力者や主人の死に際して、使用人および配下の兵士たちは「志願」して共に死んだとありますが、実際にどんな心情だったかは分かりません。
同じ風習は古代日本にも存在し、卑弥呼が亡くなったときに、100人以上の人々が生き埋めにされたと伝えられています。
現代とは権力者に対する庶民の感覚も大きく違うでしょうから、本当に「主人にお供したい」という気持ちだったのかもしれません。
しかし殷王朝といえば「封神演義」の舞台となった時代で、妲己の残虐行為なども有名です。
そのため、権力者のために無理やり生け贄に捧げられた人もいたかもしれません。
チームは今後、冊氏一族の社会的地位や分業、殷の王家との繋がりなどについて、詳しく調査していく予定です。
さちこーでした😁
良い情報ありがとうございます。