イングランドに「太陽暦」を持ち込んだのは誰?
「1週10日間」というのは今では考えられませんが、当時は普通にあったようです。
ダーヴィル氏によると、古王国時代のエジプトでも同様の太陽暦が記録されており、その他にも「1週10日間」を採用した地域があったという。
「このような太陽暦は、BC3000年以降に東地中海で開発され、エジプトでは、BC2600年ころの古王国時代の始まりに広く使われました」
しかし一方で、この知識がどうやってイングランド南部にまで伝わったのかは謎です。
ストーンヘンジの造り手たちが独自に開発したとは考えにくく、時代も近いことを踏まえると、他地域から伝播してきたと考えるのが妥当でしょう。
可能性のひとつとして、ダーヴィル氏は「エームズベリーの射手(Amesbury Archer)」の存在を指摘します。
エームズベリーの射手とは、2002年5月に、ストーンヘンジの近くで発見されたBC2300年ころの男性の遺骨です。
調査の結果、フランスとスイス国境辺りのアルプス地方で生まれ、ブリテン島に渡って来たことが判明しています。
つまり、時代は少し前になるでしょうが、彼と同じルートを介して、太陽暦がイングランドに持ち込まれた可能性があるのです。
こうした疑問は、今後の遺物分析やDNA解析によって解決されるかもしれません。
ダーヴィル氏は、最後にこう述べています。
「ストーンヘンジに太陽暦の機能があるとわかったことで、その地が当時の人々の生活拠点になっていたという新たな見方ができるようになりました。
儀式や祭りのタイミングは、この暦にもとづいて行われていたのでしょう」