ボトックス注射で顔筋を麻痺させると「他人の感情」が解りにくくなる可能性!
近年の研究により、動物の心の状態が、心臓や腸など脳以外の体のパーツから発せられる刺激の影響を大きく受けていることが明らかになってきました。
たとえば今年になって発表されたマウスを対象にした研究では、マウスの心臓の鼓動を人為的に早めると、マウスの心の状態が変化し、不安を感じやすくなることが示されています。
同様の仕組みは人間にも存在すると考えられていますが、人間の場合、顔の表情変化かかわってきます。
私たちの顔には他人の表情を自動的に模倣する機能が存在しており、表情を真似ることで、他人の感情を理解しやすくする働きがあると考えられているからです。
このように顔の表情によって感情がブーストされるという考えは「表情フィードバック仮説」と言われています。
ただ表情フィードバック仮説については、仮説を肯定する研究結果と否定する研究結果が混在しており、是非の判断が難しい状態にありました。
(※人為的に顔の表情を作らせる方法や発生した感情の評価方法が被験者の主観に依存するしかなかったため、結果のバラツキが多くなっていたのです)
そこで今回カリフォルニア大学の研究者たちはより客観的な判断を行うため、表情の作り方と感情の評価方法の両方を客観的なものに変更し、実験を行いました。
まず表情の作り方として採用されたのは額への「ボトックス注射」でした。
ボトックス注射に含まれているボツリヌス毒素には筋肉を麻痺させる効果があるため、顔に現れる表情変化を抑制し、額のしわを目立たなくさせることができます。
ボトックス注射を用いた顔表情(額)の抑制は、既存の方法に比べて客観的かつ測定可能なものと言えるでしょう。
また被験者たちに起こる感情の評価方法として、MRIを用いた脳活動の変化が測定されました。
これまでの研究によって人間の感情が変化すると、それにともない脳活動パターンも大きく変化することが知られています。
脳活動の測定を用いた方法は、被験者たちの主観に頼るよりも、客観的な結果が得られます。
調査に当たってはまず、人間の「嫌悪・恐怖などの負の感情」と「幸福な感情」を表現した顔写真が用意され、MRI内部にいる被験者に対して、ボトックス注射を打つ前と後(2~3週間後)の2つのタイミングで提示されました。
するとボトックスの注射後は、負の表情と幸福な表情のどちらをみたときも、脳内で感情処理にかかわる偏桃体の活動が低下していることが示されました。
また、同様に感情表現に関与していると考えられている紡錘状回(ぼうすいじょうかい)では、幸福な表情を見せられたときだけ活動レベルの低下が観察されました。
(紡錘状回は、脳幹や大脳皮質と密接に結合した脳部位で、睡眠中の記憶形成を含む、脳の多様な機能に関与することが知られている)
この結果は、ボトックス注射による表情筋の抑制が、脳で行う「他人の感情」の処理に影響を与えていることを示します。
実験では特に幸福な感情に対する感受性の低下が強く示されており、また同様に負の感情に対しても感受性は低下していることが示されました。
研究者たちは「私たちは他人の表情を見ると無意識のうちに真似して、その表情が意味する感情を偏桃体や紡錘状回に送り、他人の感情を理解しやすくしている」と述べています。
このため、ボトックス注射で表情が抑制されると、脳は表情筋からの信号を得ることができず一種の混乱状態に陥り、結果的に他人の感情を理解するのを難しくしてしまう可能性があるようです。
今回の研究はかなり小規模なものであり、すべての被験者で一貫した結果が得られているわけではありません。
そのため研究者たちは今後も、表情筋の変化が人間の主観的な判断にどのように影響を与えるかを確かめていきたいと述べています。
今回の結果について理解が深まれば、将来的には精神疾患や自閉症スペクトラム障害などの治療法につながる可能性があります。
いずれにせよ人間が他人の感情を読み解くために、自身の表情筋を利用しているというのは興味深い報告です。