色を判別できるのに物の色が「言えない」色彩失認の症例報告
オランダに住む44歳の男性(仮称:サム)は、子供の頃から色の認識ができず苦労してきました。
サムは「赤色のタイルを持ってきて」や「黄色のボールを持ってきて」といった簡単な作業ができなかったのです。
また知識の上でイチゴが赤くバナナは黄色いことを知っているのに、青いイチゴや赤いバナナの画像を見てもそれが異常だと気付きませんでした。
といっても、サムは色覚異常ではありません。
彼の色覚テストの成績は完璧であり、いわゆる色盲なわけではないのです。
確かにサムは「赤色のタイルを持ってきて」という指示を正しくできませんが「赤色のタイル」と口頭で指示する代わりに、赤色のタイルを指し示し「これと同じ色のタイルを選んでください」という指示を行うと、ちゃんと赤色のタイルを持ってきてくれます。
もし色弱や色盲ならば、赤いタイルを指定されたとしても、緑や青の間違った色のタイルを選んでしまいますが、サムにはそのような間違いはみられませんでした。
ではサムの問題は知能や言語能力にあるのでしょうか?
色の認識ができない症状の背景にはしばしば、知能や言語能力が低すぎて赤・青・緑といった「言葉の意味」を理解できないケースもあります。
しかしサムは知能テストでも認知機能のテストで高成績を収めており、むしろ平均的な人々よりも知能・記憶力・注意力・言語能力が高い水準にあることがわかりました。
つまりサムは「色を区別」するのに十分すぎるほどの色覚・知能・言語能力を持っていながら「色の認識」だけができなかったのです。
サムのような症状を持つ人は「色彩失認」と呼ばれており、1908年にはじめて存在が確認されました。
ただ、このときの患者はサムと違って物の色だけでなく物の名前も正しく答えることができず、情報を紐づけする能力全体に障害が起きていました。
そのため当初、色彩失認は認知能力の低下に連動した現象だと考えられていました。
しかし1970年代から1980年代になるとサムと同じように、知能や言語能力に問題がないのに「色の認識」だけができない患者がいることが明らかになってきました。
この結果は、私たちの脳にはさまざまな種類の認知機能が存在するものの「色の認識」だけを専門的に行う脳回路が存在しており、サムたちはその部分にだけ、何らかの障害が起きていることを示します。
通常の人々にとって色が認識できない世界がどんなものかは想像するのは困難です。
人生の豊かさを色彩の豊富さにたとえる慣用句があるように、多くの人々にとって色は非常に重要です。
しかし人間社会で色の正確な認識が必要とされる場面は、かなり限定的になっています。
たとえば色弱や色盲の人たちも検査によってはじめて自分の色のみえかたが他人と異なるという事実に気付くことが多くあります。
同様にサムのような色彩失認の人々も医師による検査が行われるまで自分のことを単なる「色音痴」程度に過ぎないと思っており、生きていくうえで治療を必要とするような問題を感じるとは考えていませんでした。
また検査によってサムに高度な知能と言語能力があったことから、色の認識能力が知能や言語能力に関係ない可能性も示されました。
それどころか、サムは経験から明るさの違いをもとに色を予測するテクニックを習得しており、平均的な人よりも色の明るさに敏感になっています。
明るい黄色とピンク、暗い青と赤のように明るさが近いものについては、やはり混乱してしまうこともあるそうですが、生活や仕事を行えなくなるような不便さはありませんでした。
しかしなぜ色の概念だけがわからなくなるという、奇妙な現象が起こり得るのでしょうか?
その理由の一端は、認知機能の多段階性にあると考えられます。
イチゴをみて赤いと言うのは、ほとんどの人にとって何の苦労もない簡単な問題です。
しかし実際には、網膜で赤い波長を検知し、電気信号に変換して脳に送り、脳内では視覚が感知した赤い信号に対応する言語的情報が参照され、はじめて「赤い」という言葉が出てきます。
サムのような色彩失認の場合、視覚の検知した信号と言語を対応させる段階において何らかの障害が存在しており、色彩の概念や認識への結び付けに失敗していると考えられます。
また興味深いことにサムの母親と長女も同じような生まれたときから色彩失認であることが判明しました。
もしサムやサムの家族の遺伝子を詳細に調べることができれば、色彩失認の原因となる遺伝子の変異を特定し、脳機能にどんな影響を与えるかを解明することができるかもしれません。
研究者たちは今後、サムに起きている障害が本当に色彩以外に存在しないかを調べるとともに、色彩失認を持つ家族をもっと見つけたいと述べています。