アジアとオーストラリアの動物相を分ける「ウォレス線」とは?
生物学者は19世紀に、インドネシアのボルネオ島とスラウェシ島の間、それからバリ島とロンボク島の間を境界線として、動物相が大きく異なることに気づいていました(下図を参照)。
この見えない線は、発見者であるイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823〜1913)にちなんで「ウォレス線(Wallace Line)」と呼ばれます。
それ以来、ウォレス線を堺に西側が「東洋区」、東側が「オーストラリア区」と分けられるようになりました。
オーストラリア区にはカンガルーやコアラといった有袋類が豊富で、その数は東洋区へ近づくほど少なくなります。
それからロンボク島では野生のインコが分布していますが、すぐ隣のバリ島にはいません。
対して、クマやトラ、サイのようなアジア原産の動物はオーストラリア区では見られません。
こうした動物相の違いは他にもたくさんありますが、ではウォレス線はどのようにして生じたのでしょうか?
大陸移動によるインドネシアの誕生
研究主任のアレックス・スキールズ(Alex Skeels)氏によると、その背景にはオーストラリア大陸の移動があるという。
「今から約3500万年前までオーストラリアはもっと南に位置し、南極大陸とつながっていました。
しかし、その後オーストラリアは南極大陸から分離し、数百万年かけて北上していき、アジアに衝突したと考えられます。
その衝撃によって、今日の私たちがインドネシアの名で知っている火山島が誕生したのです」
そして新たに生まれたインドネシアは、アジア〜オーストラリアの動物の移動を可能にする”飛び石”の役割を果たすようになりました。
このように動物たちの移住と残留が進む中でウォレス線が次第に浮かび上がるようになりました。
しかし不思議なのは、アジアからオーストラリアに渡った動物種は多かったのに対し、オーストラリアからアジアに行く動物種はほとんどいなかったことです。
なぜこのような移住と残留の非対称性が生まれたのでしょうか?
研究チームはその疑問を「気候変動」の点から解答しました。