ドイツの侵攻によって、ソ連から信仰を許される
このようにロシア正教会は苦難の時期を迎えますが、1941年に独ソ戦がはじまると転機を迎えます。
ドイツは占領地に教会を建設し、ロシア正教徒を味方につけようとしたのです。
またアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、スターリンに対し、支援を維持するために信仰の自由を拡大するよう要求し、拒否すれば支援を停止すると脅したのです。
その為スターリンは、教会を再び破壊することが無謀であると判断し、国家の無神論政策を犠牲にしてでも勝利を追求する必要があると考えました。
1943年にスターリンは教会首脳と会談し、政教和解の方針を示したのです。
スターリンはロシア正教会に対して大幅な譲歩を行いました。
この融和政策によって崖っぷちだったロシア正教会は何とか踏みとどまったのです。
しかしそれでも弾圧は無くなったわけではなく、ロシア正教会の信徒が堂々と教会に礼拝に行けるようになるのは、ゴルバチョフ政権のペレストロイカを待たなければなりませんでした。
こうした歴史は、一度国家に根付いた巨大な宗教は例えソビエト政権のような統制の厳しい政府であっても潰すことが非常に困難であることを物語っています。
日本でもキリシタンが時の政権に弾圧されたことがありましたが、それも完全に根絶させることはできませんでした。
多くの信徒を擁する宗教は、弾圧によって消える例は少なく、それどころかソ連の例を見るように他国から付け入られる隙になってしまうこともあります。
国家と宗教の対立は人類の歴史の中で幾度も繰り返されてきた問題です。ここにスポットを当てて歴史を振り返ってみるのも非常に面白いものかもしれません。