圧力や摩擦で氷が解けていたわけではない
冬場に氷の上で滑って転んでしまった経験を持つ人は多いでしょう。
氷は知られている物質のなかでも、特に滑りやすい特性を持っていることが知られています。
この氷が持つ滑りやすい性質は、表面に出現する液体の水の層が潤滑剤として作用するためであることが知られています。
しかし実際には、マイナス30℃やマイナス40℃など、水が液体として存在できない環境でも、氷は滑りやすいままです。
そのため一般には「圧力が氷を溶かして水の層を作る」とする圧力説が信じられていました。
たとえば氷点下の環境でスケートができるのも、スケートの刃が氷に対して圧力をかけたり摩擦熱を生じさせ、部分的に滑りやすい水を生成しているとする考えです。
下の図は氷・水・水蒸気の関係を示したものです。ちょっと分かりづらい図ですが、273.15Kが0℃で、1気圧は約10万(10⁵乗)Paです。
そのためこのグラフを見ると、圧力が1気圧より高まった場合、0℃より低い温度でも氷が水になるということがわかります。
とはいえ氷領域と水領域をわけるラインはかなり急激に下降しており、多少の圧力変化では水領域へ移動しないことがわかるでしょう。
実際測定を行うと、人間の体重程度の圧力では、十分に冷えた氷点下の氷を解かせないことがわかっています。
たとえば体重60kgの人がスケート靴をはいて氷の上に立った場合の圧力では、融点はわずか0.17℃しか下がりません。
なので氷の温度が0℃より大幅に低い場合、圧力による融解はほとんど起こらないのです。
圧力によって氷に水の層が生まれ、滑りやすくなるという考え方は、この事実から否定されます。
そのため近年では摩擦熱が氷を溶かしている、とする説が有力視されるようになりました。
しかし摩擦熱で説明できるのはマイナス30℃程度までであり、これより低温になると摩擦熱を加えても氷は容易に融けなくなります。
ところが、摩擦で水の層ができにくいマイナス35℃の氷でも依然として氷は滑ることがあり、さらに氷の上に静止した物体でも滑ることがあるため、摩擦熱を用いても水の層で氷が滑るという考えは支持できないのです。
つまり氷が滑りやすいのは、圧力や摩擦といった単純な物理的接触以外の「何か」が根底に潜んでいるのです。
この事実に最初に気づき理論化したのは、物理学者ファラデーでした。
ファラデーは0℃以下で2つの氷を接触させておくと「くっついてしまう」という現象をもとに「0℃以下の氷も実は常に水の層で覆われており」氷がくっつくのは水の層が再凍結したからだと結論しました。
現在では技術の進歩により、氷の外面は液体のように振る舞う水分子群に覆われていることが判明しており、ファラデーの推察が正しかったことが証明されています。
つまり氷が滑りやすいのは、圧力や摩擦に頼らずとも、その表面が常に潤滑剤として働く分子で覆われているせいだったのです。
しかしこの滑りを良くする分子が、どこからやってくるのか(起源)、またどのような配置パターンをしているか(構造)、その詳細は不明なままでした。
そのため人類の理解は現状「氷が滑るのは、なんとなく水のような層があるから」程度に限られていたのです。