一方向に向かう時だけ質量が消える粒子
これまでにも、世界中の実験室でさまざまな「変わり種の粒子」たちが見つかってきました。
しかし、セミディラックフェルミオンが放つ奇妙さは、その中でもとびぬけています。
2008~2009年ごろ、複数の理論家が「運動方向によって有効質量が変化する準粒子があり得る」と提案していました。研究者たちはこれを、「北や南へ動いているときは質量ゼロ、東や西へ進むと質量が生じる」と例えています。
物理学的な観点から見ると、「光速で移動する粒子は質量を持たない」とされています。
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、光速で飛ぶものに質量を付与することは不可能なのです。
一見すると、セミディラックフェルミオンはこうした理論に反する“変わり者”に見えるかもしれません。
しかし、これは誤解です。
セミディラックフェルミオンは「複数の粒子が集まった準粒子」であり、単独の粒子が負う制約とは異なるふるまいを示すのです。
たとえるなら、一人で100メートルの距離をロープで結ぶことは絶対に不可能ですが、100人が手をつなぎ合えば、その地点とゴールを一瞬で「繋いだ」状態が作れてしまう――ちょっとズルをしているようで、実はこれが準粒子の魅力であり、粒子本来の制限を越えた現象を可能にする力を秘めているのです。
もし粒子の制御ではなく準粒子の制御を焦点に当てた技術を開発できれば、粒子ベースの技術では不可能だったことが実現できるなどの利点もあります。
もっとも、セミディラックフェルミオンの「質量が消えたり現れたりする」性質を実際に観測するのは、そう簡単ではありません。
そこで研究チームが注目したのが、ジルコニウム、シリコン、硫黄から成る半金属ZrSiSでした。
この結晶は平時は金属的な電気伝導性を示しますが、極限状態においては内部で電子があたかも“渦”を巻くような量子効果が期待されていました。
さらに、セミディラックフェルミオンはグラフェンのような2次元的構造で現れるとされていましたが、ZrSiS結晶もまた、極めて薄い2次元層を形成する特性があることが知られていたのです。
そこで研究者たちは、ZrSiS結晶を絶対零度近くまで冷却し、超高磁場をかけるという過酷な条件を用意しました。
その結果、結晶内部には量子効果が顕著に表れ、電子がさまざまな方向に流れ出すような状態が生まれたのです。
こうして結晶内部で量子効果が目覚めると、電子たちは「あたかも渦を巻く」ような複雑な流れを示し始めました。
その結果、セミディラックフェルミオンの存在を示す鍵となる、「あらゆる方向へ流れ出す電子たち」が出揃ったのです。
ここで重要なのは、この電子たちがどの方向に動いているのか、その状態がどうなっているのかを正確に見極めることです。
もしこれに成功すれば、セミディラックフェルミオンが実在する決定的な証拠をつかむことができます。
研究者たちは、この結晶状態に光を当てて“光学的応答”を測定することにしました。
光がどう反射・透過されるかを調べることで、内部の電子配置やその振る舞いを読み解く手法です。
すでに数々の研究で実績があり、物質内部の異常な状態をあぶり出すのにも向いています。
その結果、通常では考えられない観測データが得られました。
特に、電子の進む経路と「交差点」に注目すると、面白い現象が浮かび上がったのです。
磁場をかけている方向(N-S極)に沿って電子が動くと、有効質量が消失したかのような状態になる一方、直行する方向に向かうと、今度は有効質量が発現するかのように見える——まさに理論で予測されていたセミディラックフェルミオンの特徴そのものです。
こうした不思議な観測結果を前に、研究者たちは実験と理論の両面から徹底的な分析を敢行。
その結論は、2008~2009年にかけて理論的に示唆されていたセミディラックフェルミオンが、現実の結晶内部でついに初めて確認された、というものでした。
もっとも、電子が「質量を失う」ように見えるこの現象は、私たちの日常感覚からすれば到底理解しがたいでしょう。
次のページでは、研究者自身の言葉を交えながら、結晶内部でどのようにして「質量が消えたかのような」状態が生まれるのかを、研究者たちの言葉をもとに噛み砕いて説明していきます。