「即身仏とは?」生きながら自らをミイラにするための修行
即身仏とは主に、日本の仏教に見られる僧侶のミイラのことを指す言葉です。
即身仏の歴史は古く、疫病や飢饉に苦しむ人々を救うために、僧侶が自らの意思で自らの肉体を生きながらミイラ化し、死してなお衆生の救済を祈り続ける生き仏になるという目的がありました。
即身仏になるには、非常に過酷で厳しい苦行に耐えなければなりません。
まず、死んだ後に肉体が腐ってしまわないよう、全身の脂肪分をできるだけ削り落とす必要がありました。
そこで僧侶たちは米を含む穀類の摂取を絶って、木の実や葉っぱの芯を中心に食べていたのです。
さらに体の防腐目的として漆(うるし)を混ぜたお茶を毎日飲んでいました。
これにはまた、体の拒絶反応を起こして嘔吐することで、体の水分を少なくする目的もあったといいます。
この恐るべき苦行は約3000日間続き、体が限界に近づいてくると、僧侶は深さ3メートルほどの石室にこもり、完全な断食に入ります。
そして僧侶は読経を繰り返しながら、鈴を鳴らすのです。
なぜ鈴を鳴らすのか?
それはまだ自分が生きていることを外の者に伝えるためです。
この鈴が聞こえなくなったら、僧侶は永遠の瞑想に入ることを意味する「入定(にゅうじょう)」の状態に移ったと判断され、そのミイラ化した肉体が即身仏として祀られました。
シヤラム・ババの生前の生活も形は違えど、仏教でいう即身仏になるための修行に近いものだったと言えるのではないでしょうか。
ヨガでの最高の修行は断食とされる。その目的は、無体(人間的自然体)無心(人間的自然心)による神との対話であり、命に対する祈りでも在る。こうして瞑想の状態に入ります。瞑想とは、真理による悟りの手段であり、神(宇宙生命)との一対化を目的とする。それは、真の意味での平和の実現でもある。混沌とした世に、まだ救われの道はある。少しでも多くの人が、目を覚ます時でもある。