第2章:光で磁石でないものを磁石にすることに成功
これまで、素材に光を当てて特別な「何か」を引き起こす(いわゆる光誘起相転移)研究では、主に可視光や近赤外光が使われてきました。
しかし、これらの波長帯は電子系を直接励起してしまうため、物質に大きな熱的影響を与え、多くの研究では1ピコ秒(1兆分の1秒)ほどしか続かない“瞬間的な相転移”となっていました。
(※最近ではナノ秒代のものも報告されています)
同様に可視光や近赤外光を FePS3(鉄・リン・硫黄からなる層状化合物)に照射しても、磁化を長時間維持するのは難しいと考えられます。
実際、反強磁性体というのは隣り合うスピンが規則的に逆向きに揃っているため、見かけ上は磁化がゼロの状態です。
それでもスピン秩序自体はしっかり存在しており、もし光や外部刺激でその秩序をうまく動かせれば、磁石のような性質を引き出せる可能性があります。
そこで研究者たちは、テラヘルツ帯(約0.1〜10 THz)の光に注目しました。
テラヘルツ光は比較的“穏やか”なエネルギー域にあるため、電子系を過度に乱すことなく、必要な部分だけをピンポイントで刺激できます。狙いを絞り込むほど、物質全体を加熱してしまうリスクが下がるわけです。
もしテラヘルツ帯の光が秩序再編の“触媒”になれば、FePS3(鉄・リン・硫黄からなる層状化合物)に磁石のような性質を授けられるかもしれない——そう考えたのです。
イメージとしては、かつての昭和時代に壊れかけのテレビを“叩く”ことで一時的に直すような荒療治ではなく、優しく“狙い撃ち”して磁力を呼び覚ますような制御を狙ったわけです。
(※当時は電子部品の接触不良が原因で、物理的衝撃が一時的な改善をもたらすと信じられていました)
結果として、テラヘルツ光を照射するだけで2.5ミリ秒以上も磁化状態が続くことが確認されました。
これまでの光誘起磁気現象は、ピコ秒~ナノ秒のオーダーで消えてしまうのが普通でしたから、この“ミリ秒”という時間スケールはそれよりも遥かに倍も長くなっています。
実際、研究者たちも「ミリ秒は永遠のようなものです」とコメントしています。
さらに今回の研究では「FePS3 の相転移温度(約118 K)付近になるほど、誘起される磁化が大きく、寿命も長くなる」という現象が観測されました。
これは118 K近くに“臨界現象を起こす境界”が存在し、わずかなテラヘルツ光の刺激だけでも“磁化の沸き立ち”を誘発できることを示しています。
しかも、2.5ミリ秒という桁違いの長寿命を考えると、光照射後も“準安定の丘”にスピン秩序が留まった可能性が高いと推測されます。
つまりFePS3 は「強いスピン–フォノン結合」と「臨界温度近傍での揺らぎ増幅」という特性が重なって、テラヘルツ光による新たな磁気状態を長時間維持できる、きわめてユニークな反強磁性体だと言えます。