誤った証言で大量の冤罪が生まれた70年代
ロフタス博士の研究が本格的に始まった背景には、誤った目撃証言による冤罪事件の増加がありました。
科学捜査が未熟な1970年代のアメリカでは、証言が唯一の証拠となることも珍しくなく、証言のみに基づいて有罪判決が下されるケースが多くありました。
しかし、証言の信憑性を疑う声は当時からありました。そのため、このような社会的背景の中でロフタス博士は記憶の信頼性に関する科学的研究に取り組んだのです。
彼女の研究で注目されたのが誤情報効果(misinformation effect)です。これは、記憶が外部情報に影響を受けることを実験的に示したものでした。
彼女の初期の研究では、交通事故の映像を被験者に見せ、その後の質問で使う言葉遣い(例:「衝突した(smashed)」vs「ぶつかった(hit)」)を変えることで、被験者の記憶がどのように変化するかを調査しました。
その結果、「衝突した」と言われたグループは、実際よりも激しい事故を目撃したと報告する傾向が見られたのです。
これは質問の仕方を変えるだけで、自動車事故の速度推定が20km/hも変化することを示していました。

この研究は、司法の場における目撃証言の信頼性に大きな影響を与えました。
裁判では、証人が見たと信じる内容が証拠として扱われることが多いですが、検事の質問の仕方などによってその記憶が操作される可能性があるとすれば、冤罪のリスクが高まります。
彼女の研究が影響を与えた事件として有名なのが、1980年に起きたスティーブ・タイタス冤罪事件です。
1980年12月、ワシントン州に住むレストラン支配人のスティーブ・タイタス氏は、レイプ事件の容疑者として逮捕されました。
彼の車が犯人のものと似ていたため、被害者に複数の写真を見せたところ、「この人が一番近い」とタイタス氏の写真を指差したのです。
その後、裁判で被害者は「この人で間違いない」と証言し、彼は有罪となってしまいます。
この裁判中の証言が、「近い」から「間違いない」に変化した理由についてロフタス博士は誤った記憶を引き出している可能性を主張したのです。

そしてこの事件は見直されることになり、結果的に地元の新聞記者の調査で真犯人が別にいることが判明し、タイタス氏は82年に無罪となり釈放されました。
残念なことに、彼はこの冤罪によるストレスで健康を損ね、数年後に心臓発作で亡くなってしまいましたが、この事件を契機に目撃証言の脆弱性が注目されるようになったのです。
80年以降DNA鑑定技術が進歩したことで、過去の目撃証言に基づく事件も再検証されることになりますが、米国無罪プロジェクト(Innocence Project)の分析では、DNA鑑定で無罪が証明された事件の75%が虚偽記憶に基づく誤認捜査であったと報告しています。
このロフタス博士の研究は、司法制度における証言の扱いを見直す契機となったのです。
しかし、彼女は後の研究でもっと衝撃的な事実を示すことになり、そちらの方が有名な研究となっています。