光さえ届かぬ暗黒に潜む“多層構造”を追う

私たちがよく想像するブラックホールは、すべてを呑み込んでしまう暗い球体で、その奥深くに特異点という無限の密度をもつ点があるイメージでしょう。
ところが近年、量子力学や弦理論の視点を踏まえると、ブラックホールの内部には単なる一点ではなく、複雑に入り組んだ高次元空間が存在するかもしれないという考え方が浮上しています。
たとえるならば、何層にも重なる巨大な構造がブラックホールの内側に広がり、落ち込んだ情報をある種の「回廊」へと導くようなイメージです。
なぜこんなに回りくどい「迷路」などという概念が必要なのでしょうか。
その根本には「ブラックホール情報喪失パラドックス」と呼ばれる難題があります。
これは、ブラックホールの中に落ちた情報は本当に永遠に消えてしまうのか、それともどこかに蓄えられ、何らかの形で外部へ還元されるのか――という、大きな謎です。
従来の一般相対性理論的な理解だけでは、ブラックホールの内部はただの“特異点”として終わり、情報が失われてしまうかのように見えます。
しかし、量子力学から見れば、情報は決して完全には消滅しないと考えられています。
こうした食い違いを埋めるためには、ブラックホールの内部構造をもっと精巧に描き出す必要があるのです。
そこで登場するのが、「ブレーン」と呼ばれる高次元の膜です。
弦理論やM理論では、粒子よりも高次元の広がりを持つ膜状の存在が基本的な構成要素になり得るとされ、これをM2ブレーンやM5ブレーンなどと呼びます。
M2ブレーンとは
私たちは普段、物質を「粒子」としてイメージすることが多いですが、弦理論やM理論では「点」よりも高次元に広がった存在が重要になります。その一つがM2ブレーンです。直感的に言えば、ゴムシートのような面が広大な空間に浮かんでいるようなものを想像するとよいでしょう。これが揺らぎながら、他のブレーンや物質と相互作用することで、高次元における「場(フィールド)」や「力」を生み出すと考えられています。
M5ブレーンとは
M5ブレーンはM2ブレーンよりも次元数が高く、「5次元の広がり」をもつ膜です。数字が「5」になっているのは、時間軸を含めない空間的次元が5つあるからです。イメージとしては、さらに大きな膜状の構造が、何層にも畳まれたり、他の次元に巻き込まれたりして存在している感じです。M2が小さめの“シート”だとすれば、M5はより大きく、広い“シート”といえます。
ブラックホール内部にこのブレーンが何枚も重なり合っていると、ちょうど迷路のように入り組んだ経路ができあがり、その入り組んだ構造が「情報」を捕まえて離さない働きをしている、というわけです。
ところが、多次元にわたり複数のブレーンが交差する様子は非常に複雑です。
単純に「迷路になるかもしれない」と言っても、具体的にどのような条件で交差が起こり、そこに存在するはずの情報がいかに振る舞うのかを説明するのは容易ではありません。
しかも、この“超迷路”を完全に解き明かすには、数学的にも高度な微分方程式を解きこなす必要があります。
たとえば「M2ブレーンとM5ブレーンがどの角度で組み合い、どこに“通路”を作るのか」など、マルチレベルにわたるパラメータが絡むため、一筋縄ではいかないのです。
そこで本研究チームが注目したのは、「迷路方程式」というアプローチです。
研究者たちは、この方程式が満たされると、驚くほど豊かなブラックホール内部の幾何学が一挙に描き出せると考えています。
たとえるならば、複雑極まりない迷路を“ただ一つの地図”で丸ごと示すようなイメージです。
しかも、この迷路構造を把握できれば、ブラックホールに落ちた情報が実際にはどのような“道筋”を通って存在し続けるのかという問題に答えられる可能性があります。
研究チームの一人はプレスリリースの中で
「この方程式が示す多彩な解が、ブラックホール内部に想像以上の柔軟性と可変性を与えている」
と述べており、情報喪失パラドックスの解決策として期待が高まっているそうです。
多次元ブレーンの配置や傾斜が少し変わるだけで、迷宮の中に新たな通路が開けたり、逆に完封状態になる可能性があるからです。
そのため今回研究者たちは、M2ブレーンとM5ブレーンの交差構造をあらためて整理・分析し、どのような条件下で“超迷路”が成立するのか、そしてその迷路が情報を保持し得る物理的機構を明らかにすることにしました。