“AIで殺人を減らせるのか”メリットと未来予想

では、イギリス政府が「まだ犯罪を犯していない人」までも分析対象に含めようとしてまで、この殺人予測プロジェクトを進めるのはなぜなのでしょうか。
表向きの答えとしては、「重大犯罪を未然に防ぐため」というきわめて切実な目的が挙げられます。
人命にかかわる凶悪事件を減らすことは、社会全体にとって計り知れない恩恵があるはずだからです。
ここでは、そうした取り組みがどのような形でメリットをもたらすと想定されているのか、そして今後どのような展望が開けるのかを考えてみましょう。
- 重大犯罪の未然防止
一つめの大きな期待は、何と言っても「殺人などの深刻な事件を事前に食い止める」という点です。
従来の警察活動は、犯罪が起きてから捜査し、犯人を逮捕するという“事後対応”が中心でした。
しかし、AIやビッグデータを活用することで、「将来的に重大な暴力行為を起こしやすい要因」を事前に洗い出し、リスクの高い人へ早期介入を図ることが可能になると考えられています。
たとえば、メンタルヘルスや家庭内暴力などのデータを活用することで、事件を引き起こす前段階――すなわち、まだ軽度のトラブルやサインが現れている段階で適切な支援や監視を行い、結果的に命を守ることにつなげようというわけです。
- 警察・司法当局のリソース効率化
二つめのメリットとしては、限られたリソースの効果的活用が挙げられます。
現場の警察官や司法当局は、常に膨大な案件に追われています。
それら全てに対して、同じレベルの監視や支援を行うのは事実上不可能です。
しかし、もしAIによる予測で「この人物は大きな暴力犯罪を起こす可能性が高いかもしれない」という示唆が得られれば、優先順位を定めた介入やモニタリングを行うことができるようになります。
たとえば2009~2013年の研究をまとめたMoJの報告書では、暴力再犯予測のAUCが約0.70~0.73という結果が示唆されています。
(※AUCが0.5ならば「まったく予測できない」レベル、0.7を超えると「そこそこ有用」とされます)
またダラム警察が導入した機械学習ベースの再犯予測ツールにおいても似た結果が得られています。
このツールの試験運用初期に公表された論文や報道では、「高リスクと判定されたグループが実際に再犯に至る割合」が約60~65%程度などと報じられました。
このように取りこぼされがちな高リスク者への対応を重点的に行い、比較的低リスクと判定された人々には別のアプローチを用いるなど、より柔軟で効率的な運用が期待できるのです。
- 法務・司法システムの近代化
三つめのメリットとして考えられるのは、法務・司法システムそのものの近代化です。
データやAIを使ったリスク分析は、刑務所の管理や保護観察などにも応用が可能です。
現にイギリスでは、OASys(再犯予測ツール)を使って量刑や保釈の判断に活かす試みがすでにありますが、今回の殺人予測プロジェクトはその延長線上に位置づけられます。
これまでにも犯人の再犯率を裁判官が経験や直感に頼って予測し、量刑を判断していました。
再犯の可能性というのも下される刑の重さにおいて考慮すべき重要な問題だからです。
しかしこのような人間に頼った判断を、統計解析やアルゴリズムで補強することで、より客観的かつデータドリブンなジャスティス(正義の執行)が行えるのではないか――という期待感が当局にはあるのです。
- より良い社会を目指して
現時点では「研究目的にとどまる」と説明されているこのプロジェクトですが、もし一定の成果を上げれば、今後は多方面で実務利用される可能性があります。
たとえば、地域の福祉機関と連携した早期支援プログラムに活かすことも考えられるでしょう。
アルゴリズムが「この人は危機的状況に陥りつつある」と判断すれば、福祉や医療といったケアを手厚くすることで深刻な事件に発展するのを防ぐ――という構想です。
最終的には、社会のなかで孤立する人や、助けを必要としていながら放置されてきた人を早期に拾い上げ、より安全で安心なコミュニティを築こうという青写真が描かれています。
もちろん、実際にうまく機能するかどうかは未知数ですし、メリットだけを強調するのは危険です。
次のセクションで触れるように、データに基づく予測には必ずバイアスやプライバシーの問題がつきまといます。
それでもなお、技術の進歩と社会の要請が合わさることで、この殺人予測システムが“犯罪抑止の切り札”として脚光を浴びる可能性は大いにあるのです。