賢さは道徳心を鈍らせる?驚きの実験結果
この研究は、エディンバラ大学のチームが行ったもので、イギリス国内の成人1320人を対象にした大規模な調査です。
チームは、被験者に「モラル・ファウンデーション質問紙(MFQ-2)」を実施し、上記6つの道徳的基盤の支持度を数値化。
その後、言語的推論・数的推論・抽象的推論といった認知能力テストを行い、知能との関連を統計的に解析しました。
その結果、興味深いことに、知能が高い人ほど、6つすべての道徳基盤のスコアが一様に低くなるという驚きの結果が得られたのです。
とくに顕著だったのは、「純潔」基盤との関係で、言語的知能が高い人ほど、「心や体は神聖なものだ」といった伝統的な価値観に共感しにくい傾向が見られました。
さらにチームはこの結果が偶然ではないことを確かめるため、別の857人を使って事前登録された再現研究(Study 2)を実施。
結果は見事に再現されました。
この結果は、従来考えられていた「賢い人ほど倫理的・道徳的である」というイメージとは真逆です。

なぜこのような逆説的な関係が生まれるのでしょうか?
研究者たちは「知能が高い人は、道徳的判断を“直感”ではなく“分析”でとらえる傾向がある」と指摘します。
たとえば「これは悪いことだ」と即断する代わりに、「それは誰にどんな影響があるのか?」「文脈によっては正当化されるのでは?」と一歩引いて考えてしまうのです。
こうした“反省的な思考”は、道徳の絶対性を揺さぶり、従来の道徳観を再解釈する力を持ちます。
その結果として、道徳の「強さ」自体が薄れてしまうのかもしれません。
つまり、知能が高いからこそ、道徳的な「良心」すらも疑ってしまうのです。
ただ今回の結果は、知能が高い人ほど、道徳に反する悪い行いや判断をしやすいことを意味するものではありません。
むしろ、知能の高い人は、感情的な直感に左右されにくく、状況や背景を加味した上で判断しようとする傾向があるとも言えます。
それが結果的に、直感に基づいた「道徳基盤理論」のスコアを低下させていた可能性があるのです。
EQが高ければ高い程、案外相手に対する興味が薄れるのかもしれませんね。
他者は他者として認識し、寛大では無く寛容になってゆく?のかな
神の存在は知能高いと信じられなくなるというだけでしょう
知能の低い人は偶然の偏りに神の存在を感じて神罰を恐れて欲望を抑える
多分その代りに
知能の高い人はみんなが自分とおんなじ考えだったらコミュニティ破壊すると思う選択肢の優先度下げて対応してる
賢い人は、正義感からむやみに人を過剰に攻撃する頭の悪い人とは違うということがよくわかります。
知能の高い人ほど「モラル・ファウンデーション質問紙(MFQ-2)」の馬鹿げた質問項目にうんざりしたのでは?
これ、日本人には当てはまっていない気がします。
西欧人とは思考回路自体が違うのでは?どの項目を見ても、日本人は世界標準から見ても高い気がします。
さらに、日本の場合は知的レベルが低い人のほうが怪しい気がします。
日本人はウソを付くのも付かれるのも嫌う傾向があります。
集団での活動や目上の人に対する礼儀も必要なことだと考えています。
他者の振る舞いを普段から見て長期的に評価する傾向があるので、道徳性のない行動はどう評価されるかということを知的レベルの高い人は理解しているからだと思います。
右左を問わず自分を賢いと自己評価する人ほど他者に対して異様に攻撃的なのは政治の世界を見てると感じますから、まあ当たっているでしょう。
物事や概念のもつ含蓄にとらわれず、モノとモノの対応を高速かつ大量に処理する能力に特化すると、蓋然的に道徳心は鈍る
なぜなら、道徳とは基本的に長い時間をかけて醸成された伝統的な文化、風習、それらと絡み合う来歴から育まれた信念などといったものから生じるからである
だから、知能の高い人でも匿名性が高い状況では自然と不道徳なことをしがちになるともるもは睨んでる
従って、高い知能の人ほどパノプティコン的な仕組みが必要でしゅ
道徳には宗教的な伝統的価値観も含まれていたりと、必ずしも現代社会における合理性と一致しない場合がありますね。
そういう背景も考慮する必要性もあるのではと思います。
道徳とは社会がよくなれば人々の利益が増すという信念のこと
突き詰めれば自分の利益を増す利己的行為でしかない