量子は常識に抗い、加熱は頭打ち

今回の実験は、現代物理学の中でも特に精密な研究のひとつに数えられます。
まず研究チームは、セシウム原子を約2ナノケルビンという、ほとんど絶対零度(−273 ℃)に近い温度まで冷やしました。
すると、原子たちは「ボース気体」と呼ばれる状態になり、多数の原子がまるでひとつの巨大な波のように振る舞う特徴が現れます。
さらにチームは、磁場を使って原子同士がどれくらい押し合うか(相互作用の強さ:γ)を調整できるようにし、原子を細長い一次元チューブ(前後の方向にしか動けない空間)に並べました。
次に、この一次元の原子列に対して、縦方向にレーザー光を使って光の縞模様(光格子)を作り、それを短時間だけ点けたり消したりすることで、「キック」と呼ばれる力を周期的に加えました。
普通であれば、何度も力を加えられた原子たちはどんどん速く動き始め、運動エネルギーE(吸収されたエネルギーの目安)や、運動の広がりを表す情報エントロピーSが増え続け、結果として「熱化」が進むと予想されます。
ところが今回の実験では、数百回のキックの後に運動エネルギーEと情報エントロピーSの増加が止まり、どちらも一定の値で安定(飽和)するという予想外の現象が観測されました。
それだけでなく、原子の運動量分布n(k)の変化の度合いを測る指標であるJensen–Shannon距離Jもノイズと区別がつかないほど低下しました。
これは、原子の運動状態がほとんど変わらなくなったことを意味します。
つまり、どれだけ原子同士が強く押し合っていても、外からの駆動によってエネルギーがどんどん拡散していくのではなく、ある状態で“凍りついた”ように保たれていたのです。
この現象は、多体系動的局在(MBDL)と呼ばれ、理論では予想されていたものの、今回の実験によって初めて明確に確認されました。
さらに論文では、この局在状態がどれほど安定しているかを調べるため、理論モデルを使って「キックのタイミングにランダムなズレ」を加えた場合のシミュレーションが行われました。
その結果、今度は運動エネルギーEと情報エントロピーSはキックを繰り返すたびに増え続けてしまいました。
つまり、エネルギーは再びどんどん拡散し、系は熱化するようになったのです。
この結果からわかるのは、外から加える力がきちんと一定のリズムであることが、量子の波のまとまり(コヒーレンス)を維持するためにとても重要であり、ほんの少しでもそのリズムが崩れると、原子たちはたちまちバラバラに動き出してしまうということです。
研究チームは、これらの結果を受けて「量子コヒーレンスと強い相互作用の組み合わせこそが局在状態を保つためのカギになる」と結論づけています。
外部からの駆動がしっかり整っていれば秩序が保たれ、少しでも乱れると一気に秩序が壊れてしまう――この極端な“敏感さ”こそが、量子の世界ならではの特性だといえるでしょう。