600年前の手術道具に残っていた「赤茶色の粒」
今回調べられたのは、中国・上海の北西約150キロメートルに位置する江陰(こういん)市で見つかった明代の墓の副葬品です。
墓の主は、14世紀後半から15世紀初めに生きた外科医の「夏顴(かけん)」という人物とされ、1974年にその墓から鉄製のはさみとピンセットが出土しました。
ただし、発見当時の技術では、錆びた道具の表面に何が付着しているのかを詳しく調べることは困難でした。
そこで研究チームは、現代の分析技術を用いて、この古い器具に残された微小な残留物を調査。
まず蛍光X線分析によって、はさみとピンセットがどちらも鉄製であることを確認しました。
【調査された外科器具の実際の画像がこちら】
その上で、顕微鏡下で道具の表面に付着していた赤茶色の小さな粒子を3つ選び、成分の分析を行いました。
調査に使われたのは、レーザー光を試料に当て、分子の構造的な特徴を読み取るラマン分光法です。
この方法は、文化財を大きく傷つけずに、残留物の化学的な手がかりを探るのに適しています。
分析の結果、残留物にはシアノ基や油脂類の有機成分が含まれていることが分かりました。
チームはこれらの特徴から、残留物には薬効があり、麻酔作用を持っていた可能性があると判断しました。
そして、その有力な候補として挙げられたのが、トリカブト属植物に含まれる猛毒成分アコニチンです。
つまり、600年前の鉄製の手術道具には、単なる汚れではなく、皮膚をしびれさせるための局所麻酔薬の痕跡が残っていた可能性があるのです。
猛毒トリカブトを「皮膚に塗る麻酔薬」に変えていた
トリカブトと聞くと、日本でも毒草としてのイメージが強い植物です。
その主成分の一つであるアコニチンは、量や使い方を誤れば命に関わるほど危険です。
しかし毒性の強い物質であっても、処理法や投与量、使う部位を厳密に管理すれば、薬として利用できる場合があります。
今回の研究が興味深いのは、明代の医師たちがまさにその危ういバランスを扱っていた可能性を示した点です。
当時の医学書には、トリカブトの毒性を和らげるための方法が記録されています。
たとえば、酢で煮る、緑豆や黒大豆の煎じ液に浸す、あるいは幼い男児の尿を用いるといった処理が行われていたとされています。
現代の感覚では奇妙に見える方法もありますが、当時の医療者たちは経験的に毒性を弱め、外用薬として使いやすい形に整えていたのでしょう。
チームは、調製されたアコニチンを含む粉末や液体が、手術前に患者の皮膚へ塗られ、患部をしびれさせるために使われた可能性を指摘しています。
その後、医師はピンセットで皮膚をつまみ、はさみで表層を切除するような小規模な外科処置を行ったと考えられます。
実際に、麻酔薬とみられる残留物は、道具の柄の近くや機能的に使われる部位に残っていました。
とくに掃除しにくいすき間では、薬液がはねたり入り込んだりしたまま清掃を免れ、鉄の腐食とともに保存された可能性があります。
この発見は、明代の外科医が単に危険な毒草を使っていたという話ではありません。
むしろ、毒性の強い薬物を、局所塗布、複合処方、手順管理によって制御しようとしていたことを示すものです。
600年前の医師たちは、痛みを完全になくす現代麻酔とは異なる方法ながらも、患者の苦痛を減らすために高度な知識と技術を使っていたのです。





















「残留物にはシアノ基や油脂類の有機成分」
ここから
「毒性の強い薬物を、局所塗布、複合処方、手順管理によって制御しようとしていた」
ここは流石に飛躍しすぎかな。
研究としてはおもしろいし、アステカ文明がそうだったように中華文明に麻酔薬の伝統があったとしても
全然おかしくはないけど、ね。
ただ600年前まであったのに文献などに情報がなければやはり体系的に存在したとは
言えないかなと思う。
なんだろう。イースター島を見つけたのは大航海時代の船乗りじゃなくて最初に入植した人類です、みたいな。
まあそうなんだけど記録残ってないしな・・・みたいな。
文献調べた方が信用できる
記録が無いなら憶測の域を出ない記事だ