古代エジプトの「5人の王女」は武器の使い手だった可能性が示された
古代エジプトの「5人の王女」は武器の使い手だった可能性が示された / Credit:Canva
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古代エジプトの「5人の王女」は武器の達人だった可能性が示された (2/4)

2026.07.20 20:00:10 Monday

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王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた

王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた
王女たちは、骨が変わるほど武器を握っていた / Credit: Hashesh et al., 2026, Frontiers in Environmental Archaeology

研究チームが調べたのは、6人の王族の遺骨です。

彼らは1890年代にダハシュールという遺跡で発掘されましたが、その後カイロのエジプト博物館の地下でながらく忘れ去られ、2020年の整理作業のなかで「再発見」されました。

まさに、博物館の地下に眠っていた王族たちです。

このうち4人は、ファラオ・アメンエムハト2世の娘たち、つまり王女姉妹だと考えられています。

研究チームは、骨のかたちを測って性別や亡くなった年齢を推定し、さらにX線も使って、病気やケガの跡、そして体の使い方の痕跡をていねいに調べていきました。

すると、優雅な王女のイメージとは結びつきにくい特徴が、次々と見つかったのです。

・短剣を握り続けた王女・イタ

まず注目されたのが、およそ28〜34歳で亡くなったと推定される王女イタです。

彼女のからは、金とラピスラズリ(青い宝石)で飾られた、みごとな短剣が見つかっていました。

そしてイタの骨を調べると、右腕の鎖骨、上腕骨、前腕骨、そして手の骨にわたる広い範囲で、筋肉の付着部が力強く発達していました。

とくに右手の指を曲げる筋肉(浅指屈筋)の付着部が強く発達していました。

左側は残っておらず左右の比較はできませんが、左手の小指側にも特徴的な筋付着部の発達が見られました。

研究では、これらの特徴が短剣やメイス(打撃武器)のような武器を繰り返し握る動作と整合的だと報告しています。

今回の論文の筆頭著者のハシェシュ氏も「イタの上半身には強く発達した筋付着部があり、メイスや短剣のような武器を習慣的に使っていたことが示唆されます」と述べています。

若くして亡くなった王女の手は、ただ飾りに触れるだけの手ではなかったようです。

・矢のヌブヘテプ

そして、研究チームが「特に明確な例」として繰り返し強調しているのが、40〜44歳ごろに亡くなったと推定される王女ヌブヘテプです。

彼女の墓には、驚くほど良好な状態で保存された矢が納められていました。

そして骨の方にも、前腕の骨間膜(2本の前腕骨を繋ぐ膜)や方形回内筋(手のひらを下に向ける筋肉)の付着部、さらに右手の指を動かす筋肉群が、顕著に発達していました。

なかでもとくに注目されたのが、手のひらの骨(第2中手骨)に見られた特徴的な「湾曲」です。

研究チームはこれを、弓を安定させて引く動作に必要な、持続的で強い力がかかり続けた結果としての変形、すなわち「弓を引く者の手(archer’s grip)」だと解釈しています。

矢という副葬品と、弓を引く者の手。

このふたつが重なったヌブヘテプは、今回の研究のなかでも、副葬品と骨の痕跡が最もきれいに一致した例だといえます。

・傷を負ったイタウェレト

王女イタウェレトの骨もまた、活動的な人生を物語っています。

肩まわりや胸部の筋肉の付着部が発達しており、弓を引く動作と整合的だと報告されています。

しかし彼女の骨が印象的なのは、それだけではありません。

治癒した肋骨の骨折と、足の骨(中足骨)の疲労骨折の痕が残っていたのです。

研究チームは、これらの傷が転倒や打撃など、活動的な生活にともなう事故によるものだろうと考えています。

注目すべきは、どちらの骨折もきれいに治っているということです。

感染や癒合不良の形跡がありません。

古代エジプトには「エドウィン・スミス外科パピルス」と呼ばれる、骨折の整復や創傷処置を記した医学文書が知られています。

イタウェレトの骨の治り方は、当時すでに骨折を治療する知識があったことをうかがわせる、と著者らは見ています。

ハシェシュ氏は「これらの傷は、狩猟や軍事訓練、あるいは他の身体的に厳しい活動にともなう事故、転落、強い打撲などによって負ったものだと考えられます。注目すべきは、いずれもよく治癒していること。当時としては高度な医療を受けられたことを示しています」と述べています。

・弓使いか、病か――判断が割れるケンメト

一方で、すべての王女が同じパターンを示したわけではない、という点も大切です。

35〜45歳で亡くなったと推定される王女ケンメトの骨にも、弓の使用と関連する前腕の筋付着部の発達は見られました。

ただ彼女には骨粗鬆症の疑いがあり、手のひらの骨の湾曲も、ビタミンD欠乏のような代謝性疾患で生じた可能性が指摘されています。

そのため現状では、弓射の痕跡なのか、病気の結果なのかを切り分けることが難しいと言えるでしょう。

弓射と断定せず、病気の可能性も併記している点は、この研究の手堅さを示しています。

・「借り物の墓に眠る王」ホル

6体のうち、ただ一人の男性が王ホル(ホル・アウイブラ)です。

じつは彼は、王女たちのずっと後の時代、初期第13王朝の王でした。

この第13王朝は、100年余りのあいだに数多くの王が次々と入れ替わった、混乱の時代です(王の数え方には諸説あります)。

ホルの在位も、そのなかでわずか2年ほどだったと考えられています。

自分のピラミッドを建てる時間すらなく、彼はアメンエムハト3世のピラミッド複合体の中にある竪穴墓を再利用する形で葬られました。

いわば借り物の墓に眠る、短命で無名の王だったのです。

そのホルの骨もまた、実際に「使う者」の痕跡を示していました。

研究チームによれば、彼の左右の腕には筋肉の発達に明確な差があり、右の肩の関節にはくぼみ状の変化も見られました。

これらは武術や、それに類する動作と整合的だといいます。

もう一つ、ホルの骨は子ども時代の苦労まで記録していました。

眼窩(目のくぼみ)の天井部分に、栄養不足や病気が原因で生じる小さな穴状の変化(cribra orbitalia)が見つかったのです。

これは、幼い頃に栄養不足や感染などの身体的ストレスを経験した名残と考えられます。

王家に生まれても、幼い頃には身体的な苦労があったのかもしれません。

(※個体408とされた王女も類似の弓を使い込んだ時に現れる骨の変化がみられました)

これらの所見を総合して、ハシェシュ氏らは「上肢に見られる顕著な発達は、弓の弦を引いたり武器を安定させるといった、反復的で高強度の動作と相関しています。これは、女性の墓にある弓、矢、メイスの存在を直接説明するものです。それらは単なる象徴的な贈り物ではなく、彼女たちが実際に使った道具だったのです」と述べています。

また武器の扱いを始めた時期についても「幼い頃から訓練を始めていたに違いない」と述べています。

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