鳥は飛べない日が続くと悲観的になる

楽観と悲観をどう区別したのか?
研究チームは11羽のモモイロインコに、あるルールを覚えてもらいました。
たとえば黒い背景のときは、片方のカップにクルミが入っている。白い背景のときは、もう片方のカップに、ヒマワリの種が入っている。
クルミはごちそうです。種は、まあ悪くはない、という程度。
鳥たちはこれをほぼ完璧に覚えました。
黒が出ればクルミのカップへ、白が出れば種のカップへ。ほぼ百発百中です。
さて、ここからが本題です。
そして本番では、鳥の前に灰色の背景が出されます。
黒でもなく、白でもない。どっちつかずです。
このとき鳥がクルミ側のカップへ向かえば、「もしかしたらクルミかもしれない」と楽観的な期待を持った証拠になります。
一方で種側へ向かえば、「どうせ種だろう」と悲観的な期待を持ったことになります。
なお、灰色のときはどちらを選んでも必ず何も出ません。ごほうびで学習させてしまっては、心の状態ではなく記憶を測ることになってしまうからです。
そうしておいて、飛んだ時と飛ばなかった時の差を調べました。
ところが、三種類の灰色すべてで、統計的に意味のある差は出ませんでした。 飛んだ日の鳥も、飛べなかった日の鳥も、同じくらいの割合でクルミに賭けていたのです。
これでは、飛んでも飛ばなくても楽観・悲観のレベルは変わらない、という結論で終わってしまいます。
しかし「その日飛んだか」ではなく「何日続けて飛べているか」をもとに調べると、大きな変化が見えてきました。
連続して飛べた日が長い鳥ほど、灰色を見てクルミに賭ける楽観的な傾向が強まる。
連続して飛べない日が長い鳥ほど、灰色を見て「どうせ種だ」と諦める悲観的な傾向が強まる。
という結果が現れたのです。
私たちが「感情」と呼んでいるものには、実は速さの違う二種類が混ざっています。
ひとつは、瞬間的に立ち上がってすぐ消えるもの。驚き、怒り、一瞬の喜び。これは天気です。朝は晴れていたのに昼には降り出す。
もうひとつは、もっとゆっくりしていて、輪郭がぼんやりしていて、しかし何日も居座るもの。「なんとなく最近調子がいい」「どうも最近ものごとが億劫だ」といった、あれです。これは気候にあたります。
そして今回のテストで捉えられたのは、より長いスパンでの気候のほうでした。
では残る三人目、体の中はどうだったのでしょうか。
糞に含まれるストレスホルモンの分解産物を測った結果は、飛んだ日も飛ばなかった日もほとんど同じでした。
飛行は、心が安らげば数値を下げるはずですが、運動としては数値を上げてもしまいます。
研究者たちはホルモンレベルで差が生まれなかったのは、この両方が同時に起きて、打ち消し合った可能性があるというわけです。
こうして三人の証人のうち、行動と判断の二人が同じ方向を指しました。
得が無くても飛ぶことを、ほぼ例外なく選ぶ。
飛んだあとに、余裕のあるふるまいが増える。
そして飛べる日が続けば、世界を明るいほうに解釈するようになる。
研究チームを率いたヨルグ・マッセン氏は、この結果について「これら三つの視点からの知見を合わせると、動物に感情があるのかという問いに、かなり説得力のある答えが得られます」と述べています。
ただし彼は、そのすぐあとに「しかし、動物が実際にその感情を経験しているのか──つまり動物に『感じ』があるのかどうかは、はるかに答えにくい問題です」と付け加えています。
今回見えてきたのは、鳥の中で、感情の一部といえる部品が動いているらしい、ということでした。判断が揺れ、ふるまいが変わり、飛べない日が続けば世界が少し暗く見える。その仕組みは、確かにそこにあります。
しかし、それが私たちが「楽しい」と呼ぶあの手ざわりと同じものを味わっているのかどうか。そこは、まだ誰も知りません。
もっとも、すべての鳥にとって飛ぶことが前向きな気持ちにつながる、と言い切ることはできません。
今回の研究対象となったのは、ある1つの鳥類公園で飼育下に生まれたモモイロインコだけだからです。
そのため研究者たちは今後、他の鳥、とくに暮らし方の違う鳥で同じ実験を行うことが重要だと述べています。
たとえば猛禽類。彼らは獲物を探して捕らえるために飛びます。エネルギーの節約が生死を分ける世界です。
マッセン氏は「エネルギーを節約する必要のある猛禽類は、主に獲物を探して捕らえるために飛ぶのであり、飛ぶこと自体が彼らに特別な利点をもたらすとは限らない、と私は想像しています」と語っています。
同じ「飛ぶ」でも、意味が違う可能性があるわけです。
野生では1日に数十キロを飛ぶモモイロインコにとって、空はおそらく暮らしそのものです。一方、狩りの道具として空を使う鳥にとっての飛行は、もしかすると出勤に近いのかもしれません。
今後の研究が、その違いを明らかにしてくれるでしょう。


























私もそう思います。猛禽はいかに省エネを考えるかです。肉があると、優先権を得るために飛びます。食べ終わり、満足した後は危険なはずの地上を歩く事があります。
距離を見極める。ワシミミズクなどの大型は家の中は食べる場所までに歩いたほうが省エネなので歩きます。ハヤブサなどの中型は食べる時は飛び、食べた後は歩くが多くなります。小型のチョウゲンボウなどは、食べる時は飛び食べた後は気分次第です。ただ、小型種は天敵が多いので、早足で歩き次に飛ぶことが多いですね。
年齢でも変わります。完全飼育下でも、飛び上がるエネルギーが必要で体力不足を補うために、歩き目的地が近づくと飛び上がります。
飼育下では、比較的安全なのがわかっているので、空腹なら必ず飛びます。食べた後はややしばらく手の上です。
ハリスホークなどは、集団性狩なので犬とかなり似た行動をとります。ただ、明確な親分がいないので上下関係はありません。
中間的存在としてモズがいますが、クチバシはハヤブサ科にそっくりです。
猛禽は基本飼育下でもいつも我が身が最上位。叱られるという概念そのものがありません。繁殖期以外は孤高の存在。天敵の有無で行動が変わります。こちらの期待する行動研究が難しい存在です。
ほとんどの行動はエネルギー効率で決めてます。調教そのものは空腹を利用します。
仲良くなりたいなら、刷り込みを利用するか、年単位での寝食の一致が必要です。概念的には食い物を運ぶ生き物。腕は止まり木程度で感じているようですね。だから猫よりステレオタイプです。そこが可愛いのですが。
我が家のハヤブサは、二十畳ほどを自由に飛べる環境にありますが、留まる場所は各部屋で決めているようです。食と安全を提供するもの程度でしょうが、爪切りとクチバシ削りは命をかけた抵抗をします。頭はよくこちらのサインとなる言葉は10種類以上覚えます。貯食をするので頭はいいはずです。南米のハヤブサであるカラカラはカラスと拮抗する知能の持ち主です。
長くなりましたが、新米のファルコナーの鳥好ききが、10年かけた観察記録の感想です。
猛禽は飛ぶことは出勤に近い!笑ってしまいました。正に生きるための所業なのだと思いました。
これが、キバタンやセキセイになると飛ぶよりもかかわるを重視します。関わらないと毛引き症になります。
管理者さんが確認するんですね?
記事の内容も確認してください
楽観悲観の実験内容の部分ですが一切理解できないと思って原文を見たら重要な項目を省略し過ぎて全然意味が通じないじゃないじゃないですか
さすがに人の褌で相撲取るにしても適当過ぎやしませんか?
副編集長、小学生用にまとめるにしてもこれは酷い
やり直し