それでも「くすぐったさ」は、まだ説明しきれない

では、予想外であることがくすぐったさのすべてなのでしょうか。
答えは、半分だけイエスでした。
「めったに触られない場所ほどくすぐったい」という傾向は確かに存在します。しかしこの一本の説明で塗りつぶせたのは、くすぐったさの地図のごく一部でした。
そのため研究者たちは、単独ですべてを説明できる理論は存在しないと結論づけています。
さらに興味深いのは、くすぐったさの地図が、ほかのどの感覚の地図とも違う独自の顔つきをしていた点です。
全身地図を統計的に比較したところ、くすぐったさの地図は触覚の敏感さの地図とはある程度似ているものの、痛み・快感・触覚のいずれとも区別できる独自のパターンを示しました。
つまりくすぐったさは、ほかの感覚の「おまけ」や「合わせ技」ではなく、それ自体が独自のカテゴリーに属する身体体験である可能性があるのです。
くすぐったさとは「とても強い触覚」でも「ごく軽い痛み」でも「変わった形の快感」でもない。他の感覚を混ぜ合わせて作れるものではない、それ自体でひとつの感覚だということです。
研究チームはもう一つ、考えさせられる可能性にも言及しています。
めったに触られないからくすぐったくなるのか、それともくすぐったいからこそ触れられる機会が減るのか——原因と結果が循環して互いを強め合っているかもしれない、という見立てです。
触られないからくすぐったく、くすぐったいから触られない。ニワトリと卵のような関係が、私たちの体の上に地図として刻まれているのかもしれません。
謎が残されたまま、研究チームは現在、ロボットが足の裏をくすぐる専用の「くすぐり実験室」で解明を続けています。
キルテニ氏は「くすぐったさは感覚と運動の処理、社会的行動、感情、そして進化の交差点に位置しています」と述べています。
脇腹をつつかれれば多くの人が飛び上がる、あの「たかがくすぐったい」感覚は、脳と体、そして感情や人とのつながりがどう結びついているのかを探る思いがけない窓になるのかもしれません。
身近すぎて誰も真剣に相手をしてこなかった感覚が、いま2000年ぶりに科学の主役の座に着こうとしています。

































