「2割」と教わって、錯覚が強まった人もいた

耳に届く音も、目に入る光も、説明の前と後で何ひとつ変わっていません。変わったのは何なのか?
モデルが指し示すのは、音と光を「同じ出所のものだ」と結びつける見込みの変化でした。その見込みが下がれば、位置のずれた光と音を一つにまとめることも減ります。
研究者たちは論文で、参加者は新しい情報に合わせて見込みを調整できたようだ、と書いています。
興味深いのは、全員が「結びつけない」方向へ動いたわけではないことです。
モデルで見積もった見込みが、もともと2割を下回っていた人が23人いました。そのうち21人では、説明の後にかえって見込みが強まり、錯覚そのものも強くなっていたのです。
「どうせ別々だろう」と構えていた人にとって、2割は同じ場所から出るという説明は、「思ったより一緒なのか」という情報だったわけです。
つまり動いた向きは、一つではありませんでした。高いほうからも低いほうからも、2割という本当の値へ寄っていったのです。
説明は錯覚を消す解毒剤ではなく、結びつけ具合を加減するつまみだったことになります。
もっとも研究者たちは、聞こえ方そのものよりも、答え方が変わった可能性が高いとみています。
では、長年の練習が、この結びつけ方を育てたのでしょうか。
そこは、まだわかりません。今回比べたのは、すでに楽器を弾ける人と、そうでない人でした。練習の成果なのか、もともとの性質なのかは、切り分けられないのです。
それでも、確率を知らされてもなお差が残ったことは、音楽家の違いが、その場でこしらえた思い込みではないことを示しています。
感覚をうまく使うとは、目と耳を何でも混ぜることではありません。
普段は役に立つ結びつけも、出所が別々なら勘違いの元になります。まとめすぎないことにも、意味があるのでしょう。
音楽家の「耳のよさ」を考えるとき、耳だけを見ていては、大事な違いを見落としてしまうのかもしれません。





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