計算手が機械に変わるまで
「数表」のまちがいが計算機を生んだ!
計算手の成果は、あらゆる計算の結果が辞書のように引ける「数表」にまとめられました。
数表は、計算機以前の重要なツールであり、科学者や技術者、銀行員などが必ず携帯していたそうです。
ところが、数表には欠点がありました。
すべての計算が人手で行われたため、ところどころに間違いが見られたのです。
1821年のある夜、裕福な数学者のチャールズ・バベッジは、友人と一緒に数表の間違いを探して楽しんでいました。
あまりに間違いが多いので、バベッジはつい「ああ、神様!こんな計算、蒸気機関でできるようになりませんか!」と声をあげたといいます。
その瞬間、彼の頭の中に「自動計算機」のアイデアが浮かんだのです。
「加減乗除」ができる計算機へ
バベッジはすぐに独自の計算機を設計し、それを「階差機関(difference engine)」と呼びました。
計算手と同じ計算を自動で行い、しかも間違いをしない機械です。
ところが、階差機関にできるのは足し算だけでした。
1837年、バベッジは足し算だけでなく、加減乗除のすべてをこなせる機械を着想します。
これが「解析機関(analytical engine)」です。
解析機関は、よく「世界初のコンピュータ」と形容されます。
決して大げさではなく、実際に今のコンピュータに繋がる特徴をいくつも持っていました。
CPU(中央処理装置)やメモリーがその例です。
しかしながら、バベッジが1871年にこの世を去ったとき、解析機関はほんの一部しか完成していませんでした。
この解析機関のアイデアを発展させ、現代のコンピュータの基礎を作り上げたのが、イギリスの天才数学者アラン・チューリング(1912〜1954)です。
チューリングはどんな功績を残したのでしょうか?