第一次世界大戦と恐怖の兵器マスタードガス
1914年に勃発した第一次世界大戦は、人類史上初めての総力戦であり、技術革新が戦争の形態を劇的に変えました。
戦闘機や戦車、潜水艦などが戦場で初めて本格的に使用され、戦争の規模と破壊力が飛躍的に高まりました。
その中でも、化学兵器の使用は戦争の残虐性を象徴する代表的な出来事の1つです。
化学兵器の起源は、19世紀末に研究された窒素肥料や化学薬品の技術にさかのぼります。
これらの技術は、もともと農業や産業を支えるためのものでした。
しかし、第一次世界大戦の勃発に伴い、これらの科学技術が軍事目的に転用され、化学兵器として応用されることとなりました。
農地を豊かにするはずの窒素化学は、一転して戦場で破壊と苦痛をもたらす化学兵器へと姿を変えたのです。
ドイツの化学者Fritz Haber (フリッツ・ハーバー) は、「化学兵器の父」と呼ばれることもある人物です。
ハーバーは窒素肥料の製造技術 (ハーバー・ボッシュ法) を開発し、1918年にノーベル賞を受賞しました。
しかし、第一次世界大戦中には、その化学的知識を戦争のために応用し、マスタードガスを含む化学兵器の開発を主導しました。
ハーバー自身は、化学兵器を「戦争を迅速に終結させ、犠牲者を減らす手段」として正当化していました。
1917年7月、ベルギーのイーペルでマスタードガスが初めて戦場に投入されました。
このガスは足元に黄色い霧を漂わせ、胡椒のような匂いを放っていたと言われています。
ガスにさらされた兵士たちは、24時間以内に激しいかゆみや水ぶくれに襲われました。
一部の兵士は血を吐きながら命を落としたと記録されています。
マスタードガスの恐ろしい特徴は、防毒マスクでは完全に防ぐことができない点にありました。
このガスは呼吸だけでなく、皮膚を通じて体内に吸収されるため、全身に深刻な損傷を引き起こしたのです。
最初のイーペルでの使用では、1万人以上の死者が出たとされています。
このため第一次世界大戦は「化学者の戦争」とも呼ばれています。
新しい科学技術が人命を奪う兵器として使用されたことで、科学の発展がもたらす倫理的な問題が露わになりました。
そして、第一次世界大戦での化学兵器の惨状を受けて、科学技術を破壊的な目的ではなく、平和的な用途に活用すべきだという議論が国際的に高まってきたのです。
その結果、1925年には化学兵器の使用を禁止するジュネーヴ議定書が採択されました。
そんな、戦争のために開発された技術が、この後、医療分野に革新をもたらすきっかけとなります。
マスタードガスの人体への影響に関する研究が、人体に有害な細胞を倒すために転用されることになるのです。