「フェニキア人」によって作られた人工プール
この人工プールは、かつてシチリア島の西海岸にあった古代都市・モティア(Motya)にて建設されました。
モティアは、広さ40万平方メートル弱(東京ドーム8.5個分)の都市としては小さな場所です。
初期の定住民は、目の前の海で採れる豊富な魚や塩、また真水の供給やラグーン内の保護された立地条件により大いに繁栄しました。
BC8世紀に入ると、地中海東岸の民・フェニキア人がやってきて、地元民と共生し、文化や技術を持ち込みます。
そのおかげか、モティアはわずか100年の間に、地中海の西方へ広がる交易ネットワークを持つ港町にまで成長したのです。
しかしそのせいで、北アフリカ沿岸に栄えた強国・カルタゴに目をつけられるようになりました。
BC550年ころ、カルタゴ軍はモティアに攻撃をしかけ、壊滅的なダメージを与えます。
それでもモティアの民は立ち直り、すぐに都市を再建しました。
その中で、1920年代に見つかった「人工のプール」も作られたのです。
人工プールは、カルタゴの軍港として機能していた人工港「コソン(Kothon)」に似ていたため、これもその一つと考えられました。
また、1970年代には、船を修理するための場所だったという解釈が追加されます。
ところが、研究主任のニグロ氏は、60年にわたるモティアでの調査から、まったく別の解釈を唱えました。
それは、「軍港ではなく、神を祀る聖なるプールだった」という説です。
その解釈に至った根拠を次に見ていきましょう。