現代と名前が違う宝石
『博物誌』には、現代とは異なる名前を持つ宝石たちが登場します。
その中から、特に不思議な性質を持った宝石たちをご紹介いたします。
アダマス
プリニウスが「人間の財産のうちでもっとも尊ばれるもの」と述べているのが「アダマス」です。
アダマスは、現代における「ダイヤモンド」に相当します。
アダマスという言葉は古代ギリシャの言葉で「征服しがたいもの」という意味の言葉です。
ダイヤモンドといえば、鉱物の傷つきにくさを表す尺度「モース硬度」の中で、もっとも硬い「硬度10」を示す宝石として有名です。
プリニウスの時代にも、アダマスをもっとも象徴していた要素は「硬さ」でした。
『博物誌』にも、アダマスは金槌で叩き割ろうとしても決して割れず、反対に金槌の方が割れてしまうほど硬いと記されています。
また、アダマスは火をも征服し、決して火に侵されることがないとも考えられていました。
このように、外からのさまざまな攻撃をものともしないアダマスは「征服しがたい宝石」として広く知られていました。
そんなアダマスにも一つだけ弱点がある、とプリニウスは述べています。
それは「ヤギの血」。
ヤギの血に浸したアダマスを金槌で思い切り叩くと、アダマスは砕け散ってしまうのだとか。
なお、この話を聞くにあたって一つ注意していただきたいのが、モース硬度は「引っかいた時の傷つきにくさ」を示しており、「金槌で叩いた時の割れにくさ」を示しているわけではないということです。
ダイヤモンドは傷つきにくさではトップクラスの宝石ですが、割れにくさはそこまで高いわけではありません。
現代においては、ある一定の方向から強い力で叩き続けると、ダイヤモンドは砕けてしまうことが分かっています。
そのため、金槌で思い切り叩いたダイヤモンドが偶然にも割れてしまう事例は、古代ローマ時代にもあったと考えられます。
しかしながら、当時はダイヤモンドの割れやすさに関する事実がよく分かっていなかったため「ヤギの血に浸したアダマスは砕けてしまう」という珍妙な話が出来上がったのかもしれません。
また、プリニウスはこの実験について「一体誰が、こんなむさい動物の血をアダマスに使おうと思いついたのだろう」という旨の記載を残しています。
プリニウスの歯に衣着せぬ発言は『博物誌』のそこかしこで見られるのですが、この発言も彼の人柄が目に見えるようで、とてもチャーミングですね。
スマラグドゥス
プリニウスがアダマスと真珠の次に価値があるものとしているのが「スマラグドゥス」です。
スマラグドゥスは、現代においては「エメラルド」という名で知られています。
スマラグドゥスという言葉は、古代ギリシャの言葉で「緑の石」という意味で、これが転じてエメラルドという名前になりました。
古代ローマの人々は、スマラグドゥスの美しい緑色を見ていると視力が回復すると信じていました。
現代においても緑色は目に優しい色とされていますが、それが古代ローマ時代からの知見であったということは驚きですね。
また、スマラグドゥスはレンズのように物の姿を映す力があるとされ、ローマ皇帝ネロは剣闘士の戦いをスマラグドゥスに映し、それを観覧していたと伝えられています。
このレンズの力を維持するためには、スマラグドゥスは自然な状態で保存しなければならず、彫刻などを施すことは禁忌とされていました。
他にも『博物誌』には、スマラグドゥスについて興味深い逸話が伝えられています。
キプロス島の王侯の墓塚の上に、スマラグドゥスの目を持つライオンの像がありました。
スマラグドゥスの目の輝きはすさまじく、海にいた魚たちは残らず逃げ出してしまうほどでした。
それに困り果てた漁夫たちは、スマラグドゥスの目を他の石に取り替えてしまったのです。
その後の顛末は記されていませんが、当時の人々がスマラグドゥスに大きな力が宿っていると信じていたことが伺える逸話です。
ヒュアキントス
ヒュアキントスとは古代ギリシャの言葉で「ヒヤシンス色の」という意味の言葉で、青い宝石全般を指す言葉でした。
ヒュアキントスとして知られていた宝石の中でも代表的なものは「サファイア」です。
青いヒヤシンスを見ていると、たしかにサファイアの色に似ているように思えてきますね。
ヒュアキントスの色はとても美しいのですが、色褪せるのが早く、堪能する前にその美しさは失われてしまうと信じられていました。
プリニウスはヒュアキントスの色が褪せるのを「ヒヤシンスの花が萎れるよりも早い」と残念がっています。
実際のサファイアは、普通に取り扱っていれば色褪せることはなく、その美しさを長い間堪能することができます。
サッピルス
サッピルスとは、ラテン語で「青」を意味する言葉です。
お察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、サッピルスという言葉は「サファイア」の語源になっています。
しかし、当時のサファイアは「ヒュアキントス」という名前で知られていました。
では、サッピルスが何の宝石を示していたか、お分かりでしょうか?
答えは「ラピスラズリ」です。
『博物誌』においてもサッピルスは「青色で、ほんの時たま紫がかっている」「金が点になって光っている」「透明なものは見つかっていない」宝石であると述べられており、現代人の私達にもラピスラズリの特徴であることがよく分かります。
当時はサッピルスもアンバーやルビーと同じく「性別」があるとされており、青緑色のサッピルスはオスであると述べられています。
宝石にも性別があると考えていたなんて、昔の人々の感性はとても豊かですね。
イアスピス
イアスピスとは、現代では「ジャスパー」として知られている宝石です。
ジャスパーはパワーストーンや天然石アクセサリーとして人気の石で、美しい模様を活かし、ビーズのブレスレットなどに使われたりしています。
イアスピスという言葉は、ラテン語で「斑点のある石」を意味します。
美しい模様から彫刻の材料に使われることが多い石ですが、当時の人々もイアスピスを印章の材料として使っており、印章に適したイアスピスを「スプラギデス(印章)」と呼んでいました。
他にも、イアスピスは外見の特徴によってさまざまな名前が付けられていました。
例えば、スマラグドゥスに似た美しい緑色をしており、一本の白線があるものを「モノグランモス(単一の線の)」、複数の白線があるものを「ポリグランモス(たくさんの線の)」と呼んでいました。
それらのイアスピスより少しばかり質の劣るものは「ボリア(北風)」や「テレビンティズサ(テレビン樹脂色の)」と呼ばれていました。
また、煙で汚れたような外見のイアスピスは「カプニアス(煙色の石)」と呼ばれていました。
さまざまな色や模様を持つイアスピスだからこそ、古代ローマの人々はその外見に応じて呼び名を使い分けていたのです。