最後の食事は漬物とお酒、最終的には首を斬られる
それでは切腹はどのような場所で行われたのでしょうか?
切腹をする場所は切腹人の身分によって異なっており、上級武士の場合は身元預かり人の家の中、それよりやや身分が劣る人は身元預かり人の庭先、それよりも身分が低い人の場合は牢屋の中で行われました。
座敷で切腹する場合は白木綿や袷風呂敷が敷かれ、身分の高い者は畳三畳の上に一畳の布団を敷くことが慣習となっていました。
また庭先で行う際には敷物を敷いて足取りを整え、履物が見苦しくないよう工夫されていました。
切腹の際、切腹人に対して最後の食事が与えられます。
切腹人が座る方向に応じて、給仕人が盃を持って現れ、酒と肴を持ってくるのです。
肴は香り物や昆布が三切れで、「みきれ」は「身を切る」に通じます。
切腹人はまず土器に酒を注がれ、これを地上にかけます。
次に盃に酒が注がれ、これを飲み干すのです。
この二献で盃事は終了します。
また状況によっては湯漬け(米飯に熱い湯をかけたもの、お茶漬けの原型)が出されることもありましたが、酒をこれ以上与えることは厳禁でした。
切腹に用いられる短刀は、通常九寸五分(約29cm)が正式の長さとされましたが、八、九寸でも許容されました。
切腹人が着座した後、短刀を右手に持ち替え、三度腹を揉んでから左手で腹に突きたて、右に引きまわすことが作法とされたのです。
刀を突き立てる深さは三分から五分(9ミリメートルから15ミリメートル)を超えないようにすることが重視されました。
正式の切り方は十文字に切ることで、鳩尾から臍の下まで切り下げ、さらに必要ならのどを掻き切る方法が採られたのです。
切腹の儀式において重要な役割を果たすのが、介錯人です。
介錯人の最大の使命は、切腹人が恥をかかないように努め、切腹の成功を確実にすることです。
古来、「誤りのないように補助する」という意味での介錯は、武士の誇りを守るために欠かせないものでした。
介錯人は切腹人が気後れして逆上するなどの問題が生じないよう、注意深く振る舞わなければなりません。
介錯人は切腹の際に苦しまないように首を切るのが仕事であり、どのタイミングで首を切るのかは切腹人の希望と介錯人の裁量によって決められていました。
介錯の際には、首を完全に落とさずに一皮残すことが望まれており、これは死罪との混同を避けるためとされています。
この配慮は、死後の見苦しい光景を避けつつ、切腹人に対する尊重を示すものです。
そのようなこともあって介錯人には高い技術が求められており、もし家中に腕の立つものがいない場合は他の家から派遣してもらうことさえありました。