どうして2〜3歳以前の記憶が思い出せないのか?
幼児期健忘はほぼ全ての人に見られる現象でありながら、あまり詳しい研究がなされていません。
研究主任で神経科学者のトマス・ライアン(Tomás Ryan)氏も「私たちが経験する記憶喪失の中で最も普遍的なものなのに、過小評価されている」と指摘します。
そのため、2〜3歳以前の記憶については、それらが完全に消去されているのか、それとも保存されてはいるがアクセスできない状態になっているだけなのかがよく分かっていないのです。
その中で研究者らが注目していたのは「自閉症スペクトラム症(ASD)」を持つ人々の存在でした。
ASDには異様な記憶力の持ち主が多く、一度行った場所の風景や物の位置を鮮明に覚えていたり、普通の人々ではとても思い出せないような昔の出来事を想起できる不思議な能力があることが知られています。
「もしかしたらASDは幼児期健忘の影響を受けないのではないか」、研究者らはそう予想しました。
子供のASDの発症は、母親の胎内において脳の神経発達に何らかの支障が出ることが主な要因と考えられています。
そこでライアン氏ら研究チームは、胎児の神経発達に影響を及ぼすことが知られている「母体免疫活性化(maternal immune activation:MIA)」に焦点を当て、幼児期健忘との関連性を調べることにしました。
母体免疫活性化(MIA)とは?
母体免疫活性化(MIA)とは、妊娠中の母親の免疫系が細菌やウイルスによる感染症やなんらかの体内炎症にさらされることで活性化する現象です。
これまでの研究で、MIAは胎児の神経発達に悪影響を及ぼすことが分かっています。
妊娠中に母体の免疫系が活性化すると、サイトカインと呼ばれる炎症性因子が産生され、それが胎盤を通じて胎児の中に侵入し、神経発達に異常が起こるのです。
そのせいで、将来的に子供が「自閉症スペクトラム症(ASD)」「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」「統合失調症」などの神経発達障害を発症しやすくなることが示されています。
では、MIAと幼児期健忘との関連性はどうやって調べたらよいのでしょうか?
チームは、ヒトと同様にMIAや幼児期健忘を経験することが分かっているマウスを実験台にしました。