歴史的事実と矛盾するイエスの生まれ年
先述したように西暦はイエスが生まれた年を起源とした暦とされているため、当然イエスが生まれたのは西暦1年ということになります。
しかし実際にはイエスが生まれたのは紀元前6年から紀元前4年の間であるといわれています。
その理由として言われているのは、ヘロデ大王の物語と辻褄が合わない点です。
新約聖書の『マタイによる福音書』によると、ヘロデ大王は「新たにユダヤ人の王となる子」(もちろんイエス・キリストのこと)がベツレヘム(ヨルダン川西岸地区南部にある都市)に生まれたと聞くやいなや、イエスを殺そうとベツレヘム近郊の2歳未満の男児全員の殺害を命じました。
この出来事は「無辜の民の虐殺」として知られており、キリスト教ではその時死んだ乳幼児たちを「イエスのために命を落とした最初の殉教者」として手厚く祀っています。
なお当のイエスは両親が天使のお告げによってこの危機を知り、イエスを連れてエジプトに逃亡したので、殺されることはありませんでした。
しかしヘロデ大王は紀元前4年の時点で死んでおり、もし西暦1年にイエスが生まれた場合、この記述と辻褄が合いません。
そのようなこともあって、多くの研究者は、イエスは西暦1年に誕生していないという立場を取っています。
ただしヘロデ王の虐殺については「他の書籍の記述や歴史的事実がない」ということもあって伝説であると主張する意見も根強く、この根拠から「イエスは西暦1年に誕生していない」という意見には確証があるわけではありません。