グラディエーターの血や汗が「万能薬」に!
古代ローマ時代の歴史的資料には、グラディエーターの血や汗、あるいは体から削り取った皮膚垢がさまざまな薬として使われたとする記述がたくさん残されています。
ある資料によると、グラディエーターは試合前にオリーブオイルを体に塗られ、試合後(生き残っていればの話ですが)にストリギルと呼ばれる専用の器具を使って体を擦り、血や汗、皮膚垢を採取されたという。
それらは瓶に詰められ、幅広い効能を持つ薬として売られました。
例えば、裕福なローマの女性たちは香水にグラディエーター汁を混ぜて、フェイシャルクリームとして使っていたといいます。
また男性も女性も、夜の営みにグラディエーターの活力を注入するために「媚薬」として愛用していたようです。
それから関節痛や炎症に至るまで、さまざまなケガや病気を治療するための「万能薬」としても用いられました。
さらに真偽は定かでありませんが、場合によってはグラディエーターの血液をそのまま摂取したり、ワインと混ぜて飲んだという言い伝えもあります。
ローマ人たちがこのような奇行を取った理由は、先ほど述べたように、勇敢で強靭なグラディエーターには特別な力が宿っており、彼らの血や汗を摂取することで、その強靭さがそのまま自分にも移ると信じられたためです。
つまり医学的には何の根拠もないわけですが、当時からこの風習を「ばかげた迷信だ」として批判していた賢い(というよりまともな)人物もいました。
古代ローマの博物学者であるプリニウス(西暦23〜79年)です。
プリニウスは自身の著作『博物誌』の中で、グラディエーターの血や汗を治療薬や美容目的に使っている人々がいることを記述しながら、そうした行動は非科学的であり、人々の盲信や過剰な信仰心を批判しています。
闘技会の消滅へ
グラディエーターの闘技会は長らく、絶大な人気を誇る娯楽として続きましたが、キリスト教会がその非道徳的な慣習を痛烈に批判し始めました。
380年にキリスト教がローマ帝国の国教になると、教会はグラディエーターをはじめ「闘技会に関わるすべての者は洗礼を受ける資格なし」と定めます。
この流れから闘技会の規模はどんどん縮小し、人気も下火になっていきました。
404年には、闘技場で試合を止めるよう呼びかけて修道士が観客の投げた石に当たり、死亡する事件が発生。
これを受けて、当時のローマ皇帝は闘技場を閉鎖する宣言をしました。
これ以降、闘技会の開催も激減し、各所で細々と続けられてはいたものの、681年に闘技会は公式に禁止され、消滅しています。
こうしてグラディエーターたちも歴史の闇に消えていきましたが、彼らの勇敢な戦いは今日でも、多くのフィクション作品にインスピレーションを与え続けているのです。