史上最も在位期間が短かった王様とは?
ルイス・フィリペは1887年3月21日に、ブラガンサ王朝のポルトガル国王だった父カルロス1世(1863〜1908)の長男としてリスボンに生まれました。
ブラガンサ王朝とは、1640年から1910年までポルトガル王国を統治したポルトガル最後の王朝です。
ただ父カルロス1世がポルトガル国王に即位したのは、ルイス・フィリペが2才のときでした。
このときにルイス・フィリペは正式に皇太子となり、王位継承権の第一位の称号も手にしています。
つまり父カルロス1世に何かあった場合、次の国王になる権利はただちに彼に相続されるということです。
ルイス・フィリペは王族として順調に成長しましたが、父カルロス1世の治世は実に不安定なものでした。
というのもカルロス1世は財政運営がいい加減であったり、国内の共和派に対して弾圧的であったり、私生活で不倫のスキャンダルがあったりと、国民にとにかく不人気だったのです。
また1892年6月14日および1902年5月10日の2度にわたって財政破綻を宣言しており、これが産業への混乱を招いて、国民による強い王制批判を呼びました。
そして溜まりに溜まった民衆の鬱憤がついに爆発するときが来たのです。
暗殺事件に巻き込まれる
1908年2月1日、カルロス1世と王族たちは馬車に乗り、宮殿からリスボンへ帰還の途についていました。
一行がリスボンの繁華街を通り、王宮に向かっていたそのとき、コメルシオ広場を通り過ぎたあたりで群衆から飛び出てきた2人の男に銃撃されたのです。
この2人は急進的な共和主義者であったそうで、ただちに護衛によって射殺されています。
しかしカルロス1世は銃弾を受けて即死。同乗していたルイス・フィリペも重傷を受けました。
カルロス1世が亡くなった時点で、国王の座はルイス・フィリペに移譲されたわけですが、不幸なことに彼が負った傷も致命的なものでした。
ルイス・フィリペは父カルロス1世が亡くなった20分後に命を落としています。
のちに、このわずか20分間がルイス・フィリペの国王としての在位期間とみなされ、ギネス世界記録にも「史上最も在位期間が短かった国王」として記録されることになったのです(Guiness World Record)。
専門家の中には「正式な即位式を経たわけではないので、ルイス・フィリペを国王と見るかは疑わしい」との意見もありますが、彼が王位継承権を持っていた以上、父が亡くなった時点で国王の権利を持つと見ることもできます。
ただ当のルイス・フィリペは自分が王様だったなんて意識は微塵もなかったでしょう。
結局、ルイス・フィリペの死後は彼の弟であるマヌエルが国王の座についています。
では彼とは逆に、史上最も在位期間が長かった国王は誰になるのでしょうか?