日本にもかつてあった徴兵制。しかしどうしても兵士になりたくない人たちもいた。
日本にもかつてあった徴兵制。しかしどうしても兵士になりたくない人たちもいた。 / Credit:canva
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「徴兵制からどうやって逃れる?」戦前の多様な徴兵逃れ (3/3)

2024.10.13 Sunday

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非合法な徴兵逃れ「失踪、詐病」、中には命を絶つものも

詐病で徴兵から逃げるものも多くいた
詐病で徴兵から逃げるものも多くいた / credit:いらすとや

以上のように合法的に徴兵を逃れるものも多かったのですが、中には非合法的な手段で徴兵から逃れるものも多くいました。

そのうちの一つが失踪であり、1890年代には6000人近くが所在不明になっていたのです。

そういった人たちは炭鉱労働者や港湾労働者といった身元があまりはっきりしていなくても何とかなる職業に就いて日銭を稼いでおり、各地の鉱山や港を転々としながら生活していました

なお40歳になれば逃亡の時効がなくなるということもあって、こうした逃亡者たちは40歳を境に社会復帰をしていたのです。

また入営時に行われる健康診断にて、不正を行うことによって徴兵から逃れる人もいました。

金銭に余裕のあるものや軍医に知り合いのいるものは、軍医に賄賂を贈って徴兵不適格の診断書を出してもらったりしていたのです。

またそういったツテのないものでも、見えるものを見えないと主張して視力検査で悪い結果を出すことや、精神病のフリをすることによって徴兵不合格を勝ち取るものはいました

さらにそんな小手先のテクニックで健康診断を偽装するのではなく、実際に体を傷つけることによって不合格を確実に勝ち取ろうとするものもいました

具体的には数カ月前から食事を減らして体重を落とすこと検査の直前に2リットル近くの醬油の一気飲みをして高血圧を装うことといった可逆的なものから、人差し指を切り落としたり暗いところで細かい字を読んで視力を落としたりするなど不可逆的なものまであり、様々な手法で徴兵から逃げようとしていたのです。

また中には徴兵から逃れるためにわざと錆びた釘を踏んで足に泥を付けて破傷風になったところ、片方の足首を落とすことになる人もいました

こういった徴兵逃れをすることにより、命を落とすことになったものも少なくありません。

加えて中には「徴兵に行くくらいなら死んだ方がマシだ」と考えて、自殺する人さえいました

実際に満州開拓少年義勇軍(日本国内の青少年を満洲国に開拓民として送出する制度)に参加していたある少年は、

お父さん、小さいころ、ぼくがよその子をなぐったら、いけないことだと教えてくれましたね。それが、いま戦争で、人と人が殺し合っている。なんの恨みも、憎しみもない人間同士がですよ。戦争に行けば、人を殺さなければならない。お父さん、そんなことが許されてもいいものなのでしょうか。それでも戦争に行くべきなのでしょうか。そんなことなら、ぼくは愛する満州の大地で、静かに眠りたい。

という両親宛の遺書を残して首を吊ったのです。

このように戦前にも合法・非合法を問わず様々な方法で徴兵から逃げている人もいましたが、とはいえほとんどの人は思うところはあったにせよそのまま徴兵に応じていました

これは当時「徴兵に行ってこそ一人前の男である」という考えが強かったこともあり、合法・非合法を問わず徴兵から逃れることによって周りから冷たい視線を浴びたり馬鹿にされたりすることを恐れていたのです

また当時は現在よりも共同体の力が強かったことも、人々からの制裁の効力を強めていました。

兵役から逃れるために軍隊式の教育を受けた小学校教員

明治時代の小学校教員、小学校教員になれば確実に戦争に行かなくてもよかった
明治時代の小学校教員、小学校教員になれば確実に戦争に行かなくてもよかった / credit:港区教育委員会

余談ですが、戦前の小学校の教員は6週間の間短期現役兵として入営すればそれ以降は完全に兵役から免除されており、それゆえ兵役の負担を軽減するために小学校の教員になるものもいました。

またこの6週間の入営中も食事などの面で非常に優遇されており、教育界においても「この特典によって小学校教員になるものが増えるだろう」と予想されていました。

しかし当時小学校の教員になるためには師範学校(概ね現在の国立大教育学部の前進)を卒業しなければならず、そこでの教育は軍隊式でした。

そのため戦争に行くのが嫌で徴兵逃れを考えている人ならまだしも、軍隊式の生活が嫌で徴兵逃れを考えている人にとって小学校教員になるという選択が現実的なものであったのかは未知数です

実際に当時の小学校教員の多くは師範学校での生活や優遇された軍隊生活によって軍隊的な価値観を内面化しており、暴力的な手法を学校で行うこともありました。

またそういった教員は自らが戦争に行くことはないのにもかかわらず「お国のために命をささげる」ことを子供たちに説いており、いかに欺瞞に満ちた存在であったのかが窺えます。

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