「角のある蛇」が「ディキノドン」である根拠とは?
そもそもディキノドンが生物学的に初めて世に知れ渡ったのは、1845年にイギリスの古生物学者であるリチャード・オーウェン(1804〜1892)が化石を発見したことによります。
このときにディキノドン・ラセルティセプス・オーウェン(Dicynodon lacerticeps Owen, 1845)との種名が付けられました。
つまり、サン人が1821年から1835年に描いた岩絵「角のある蛇」が本当にディキノドンなら、オーウェンより以前に本種を発見していたことになります。
では、ブノワ氏がこの大胆な仮説に至った根拠を見てみましょう。
まず、ディキノドンは約2億6000万年前のペルム期末〜三畳紀初めにおいて、かつて存在したゴンドワナ大陸で繁栄しました。
ゴンドワナ大陸は地球の南半球に位置し、今日のアフリカ大陸や南アメリカ大陸、インド亜大陸、南極、オーストラリア大陸などが一つになっていた超大陸です。
そのため、ディキノドンの化石はこれらの大陸を中心によく見つかっています。
中でも特にアフリカ南部の面積の3分の2を覆う「カルー超層群」という地層からディキノドンの化石が頻繁に見つかっているのです。
これはサン人の活動範囲と重なっており、さらにラ・ベル・フランスの周囲でもディキノドンの化石の発掘例が多数報告されています。
ブノワ氏も自らの足でラ・ベル・フランスを見に行った際、その周辺の岩石に露出したディキノドンの化石をいくつか見つけていました。
つまり、現地に住むサン人が西洋の古生物学者より以前にディキノドンの化石を発掘して知っていた可能性が大いにあり得るのです。
そしてブノワ氏は「ラ・ベル・フランスに描かれた”角のある蛇”こそ、サン人が化石を元に生前の姿を復元したディキノドンの姿である」と考えました。
それは今日の科学で正確に復元されたディキノドンの姿と照らし合わせるとよくわかるといいます。
ディキノドンは全長が1.2メートル程で、胴体が少し長く、体表面にイボイボの皮膚模様をもっており、口先にカーブを描いた2本の牙が生えていました。
これらの特徴はサン人が岩壁に描いた生物の姿と見事に一致しているのです。
ブノワ氏は「南部アフリカには他にこのような姿をした生物は存在していません。最も近いセイウチは地球の裏側にある北極圏に住んでいます」と指摘しました。
例えば、アフリカゾウやイボイノシシにしても2本の牙が頭の前方に向かって反り返っており、「角のある蛇」とは曲がっている方向が違います。
また体表面のイボイボは発掘されたディキノドンの皮膚ミイラからもしっかりと確認されています(上図の右下を参照)。
以上を踏まえると、サン人の描いた「角のある蛇」はディキノドンの姿である可能性も最も高いのです。
実際に、古代人が骨の化石から生物の姿をイメージで復元した例は世界各地で知られています。
古代中国では、発見された恐竜の化石(もちろん、当時は恐竜の存在など知られていません)が「竜の骨」と解釈されていました。
そしてその骨を伝統的な医薬品として使っていたのです。
こうした例を見ても、サン人が化石から古生物の姿を復元したとして何もおかしくはありません。
ただ驚くべきはその復元の正確さです。
古生物の知識などないはずのサン人が化石から、ここまでディキノドンの姿に近づいたのは予想外のことでした。
歴史的に、西洋文明は何かと先住民族を過小評価してきましたが、南アフリカのサン人を含め、先住民族の知恵や知識は私たちの想像以上に深いものなのかもしれません。
ディキノドンの復元図がハダカデバネズミに見える
先住民がその時代まで生き残っていた生物を実際に見たのかもしれません。