俸禄はあれど、支出も多くて苦しい生活だった御家人
江戸幕府の御家人は、将軍の御直参として、幕府の一翼を担う者です。
たとえその禄高が一万石未満の身分であっても、何らかの役目に従事し、三十俵二人扶持を基本とした生活を送っていました。
この「三十俵二人扶持」というのは、言わば生活の基盤であり、貨幣換算で大体14両にあたります。
当時の庶民の年間の生活費が大体10両であることを考えると、十分これだけで暮らしていけるように見えます。
また町方同心として町奉行所に属する御家人たちは、町の治安を守り、諸掛を歴任したのです。
彼らの多くは日々の勤めに励んでおり、年功や手柄により、多少の加増があることもありました。
さらに御家人には役職に伴う役徳というものもありました。
同心たちは、任務の合間に得る余剰の物品や贈答品を役徳として享受したのです。
例えば、町中を巡回する際に得た物や、事件処理の際に町奉行から得る褒美などがこれにあたります。
これらは賄賂ではなく、職務上の正当な報酬として黙認されていたのです。
しかし、彼らの生活は決して贅沢なものではありません。
というのも御家人は俸禄に応じて家来を雇わなければならず、三十俵二人扶持の場合は2人の家来を雇うことが求められていました。
さらに武士の俸禄は先祖代々同じでしたが、江戸時代は貨幣経済が発展したということもあってインフレが進んでおり、一両は初期の頃は現代の価値で10万円ほどだったのに対して、幕末の頃には現在の価値で3000円にまで下落しました。
そのようなこともあって御家人の生活は時代を追うごとに厳しくなっていき、彼らは副業にて生計を補ったのです。
(※貨幣の現代換算はかなり難しい問題で、当時と現代の生活様式の違いなどもあるため、これらの情報から今でいう年収100万円程度の生活と考えないよう注意してください)
それでも、彼らは職務に励み、家族を支え、己の誇りを持って幕府のために尽くしました。
このようにして、御家人たちは裕福でもなく、貧困でもない、しかし誇り高き武士としての生活を守り続けていたのです。