武士の副業の中にもカーストはあった
しかし「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあるように、武士はたとえ貧しくとも気高くなければならないという価値観は江戸時代を通して残っていました。
そのようなこともあって、副業に対する御家人自身の考えは複雑なところがあったのです。
当時の人々は「武芸や学問の教授や刀研ぎといった武士らしい副業はまだ世間体がいいが、植物栽培や傘張りといった武士らしくない副業は世間体が悪い」と考えていました。
そのことは、先述した楊枝作りの副業を行っていた江原素六が楊枝を売る際に、夜間に脇差を見えないように挟んで頬被りをして売り歩いたことからも伺えます。
結局、御家人の暮らしは、忠孝武備という理想と、内職という現実の間で揺れ動くものでした。
彼らはそれぞれの事情に応じて様々な形で内職を行い、その中で生活を成り立たせていったのです。
まさに、江戸の武士たちは、世間体よりも日々の暮らしを優先せざるを得なかったことが伺えます。