植物の売買、傘張り、中には特技を生かした御家人も
それでは御家人たちは、どのような内職を営んでいたのでしょうか?
その中でも有名なのが、植物栽培です。
というのも江戸時代後期、江戸では園芸ブームが巻き起こっており、植物に対する需要が高まっていたのです。
特に、珍しい植物や花が高値で取引されることがあり、御家人たちはこれを機に大いに動き出しました。
例えば、四谷太宗寺で行われた鉢植えの展示即売会では、御家人や旗本の隠居たちがこぞって参加し、時には大名や町人と肩を並べて植物の売買を行ったのです。
珍品の植物が高騰する中、少給の御家人たちもこの市場に参入し、生計を立てるために内職として植物栽培を手掛けるようになったのです。
このように御家人たちにとって植物栽培はかなりメジャーな副業であり、町内の御家人同士が協力し合い、特定の植物を栽培し、その技術を高めることで、地域全体がその産業で知られるようになる例も見られるようになりました。
例えば、下谷の御徒町(現在の東京都台東区)では朝顔の栽培が盛んに行われ、御家人たちはその空地を植木屋に貸し出しながら、自らも朝顔の栽培に取り組んでいたのです。
こうした内職が町全体の名産となり、下谷御徒町が「朝顔の名所」として広く知られるようになったのも、この集団的な取り組みの結果です。
また、御家人たちは植物栽培に限らず、傘張りなどの手工業にも従事していました。
青山百人町(現在の東京都新宿区)では、傘張りが盛んに行われ、同心たちは協力して生産に励み、その製品を市場に出していたのです。
こうした内職は単なる生計手段ではなく、職人の技術向上をも促し、江戸の一つの文化として根付いていきました。
また傘づくりだけではなく江原素六のように楊枝(ようじ)作りを行ったりする者もおり、まさに多種多様な副業が行われていたのです。
このように御家人たちは、ただ武士としての誇りを持つだけでなく、日々の生活を支えるために知恵を絞り、工夫を凝らして生きていたのです。
植物栽培や手工業の内職は、彼らの生活の中で重要な役割を果たし、江戸の風物詩としても人々に愛されたいたことが窺えます。