キスは「毛づくろい」から進化した⁈
ラメイラ氏はキスの進化的ルーツを探るため、既存の仮説の包括的なレビューを行った上で、類人猿の「毛づくろい」行動からキスが生まれた可能性が高いと考えました。
毛づくろい(=グルーミング)は哺乳類や鳥類、爬虫類の他、昆虫を含む節足動物でも広く見られる行動です。
特にサルを含む霊長類では仲間同士で相手の毛づくろいをして、汚れを取ったり、ノミやダニを除去したりしています。
また霊長類の毛づくろいには、こうした衛生面の他に「仲間との絆を深める目的」もあります。
そしてラメイラ氏は、チンパンジーやボノボを代表とする類人猿の毛づくろいに関する研究をレビューした結果、毛づくろいの最後にしばしば唇を突き出して、相手の皮膚に吸い付き、ゴミやノミ、ダニを除去していることを発見したのです。
相手の体に唇で吸い付く行為はまさにキスに近似するものでした。
ここから同氏は「毛づくろいをする者の最後のキス仮説(groomer’s final kiss hypothesis)」という説を立てます。
これはキスの起源が毛づくろいの最後に行われる吸い付き行動にあるとする説です。
ラメイラ氏によると、今から約700万年前に類人猿の祖先が樹上から地上生活に移行しました。
地上に降りても類人猿たちは仲間同士の毛づくろいを続けていましたが、次第に体毛がどんどん薄くなっていき、毛づくろいをする必要性を失い始めます。
しかしその中で相手の皮膚に吸い付く行動だけは最後まで残り、さらに吸い付き行動を続けるうちに衛生面の維持の目的が抜けて、もう一方の「絆を深める目的」だけが強くなっていきました。
こうして人類に通じるキスの原型が生まれます。
また唇は人体の中でも特に刺激への感受性が高いので、快楽をより高めるために唇と唇を合わせる現在のようなキスの形が主流になり始めたとラメイラ氏は考えるのです。
こうしてキスは愛情表現や社会的絆を深める行為として、のちに生まれる現生人類(ホモ・サピエンス)に引き継がれていった可能性があります。
あとはこれが人類の文化発展の中で、古代ローマに見られたように、様々な意味合いや目的を持ったキスの仕方が生まれるに至ったわけです。
検討すべき問題も
しかしラメイラ氏の主張はやはり仮説の域を出ておらず、検討すべき問題がたくさんあります。
例えば、米ネバダ大学の研究によると、世界各地にある168の文化圏を調べた結果、愛情表現や性的な意味合いでのキス習慣がある文化圏は全体の46%に過ぎませんでした(American Anthropologist, 2015)。
狩猟採集生活を続ける先住民族の中にはキスを全くしない文化圏も多くありましたし、中にはキスを嫌悪する文化も少なくありませんでした。
つまり、キスは人類全体が好んでしてきた普遍的な行動ではなく、類人猿の祖先から人類に受け継がれたものでもない可能性があるのです。
そのため、キスはその習慣が古くから普遍的かつ根強く存在する西洋文化圏を中心に生まれた行為であるとも考えられています。
さて、キスは類人猿の祖先時代からあったのか、人間が生み出した純粋に文化的な行動なのか、まだまだキスの謎は続きそうです。