「言語」だけではなく「心」も模倣するAI

私たち人間の行動や意思決定というのは、なぜこんなにも複雑で予測が難しいのでしょうか?
朝はパンを食べようかご飯にしようかといった日常的な選択から、仕事や人生の岐路での深刻な決断に至るまで、私たちは毎日数え切れないほど多くの選択をしています。
しかも、同じ人でも気分や状況によって全く異なる決定を下すことも珍しくありません。
こうした人間特有の「心の揺らぎ」や「気まぐれさ」は、長年の心理学や認知科学の研究においても、完全に解明されているとは言えない謎なのです。
これまで心理学では、人がなぜ特定の状況で特定の決断を下すのかを説明するために、様々な理論が生み出されてきました。
例えば「プロスペクト理論」という有名な理論は、人間がギャンブルや投資のようなリスクが伴う選択をするとき、どのような心理で意思決定をするのかを説明してくれます。
しかし、この理論はあくまで「お金の損得」が絡むような限定的な状況でしか有効ではありません。
私たちの日常には、もっと複雑で、多様で、予測しづらい意思決定が無数にあります。
プロスペクト理論のような専門的な理論は、こうした現実の複雑な人間の心を丸ごと理解するには限界があったのです。
同じように、人工知能(AI)の世界でも似たような課題がありました。
数年前に世界を驚かせた囲碁のAI「AlphaGo」は、人間のプロ棋士さえも圧倒するほどの強さを示しました。
しかしそのAlphaGoも、囲碁以外のタスクについてはほとんど何もできないのです。
つまり現在のAIは特定の問題を解くことには非常に優れているものの、人間のように多種多様な状況に柔軟に適応して行動することが難しい、という弱点を抱えていました。
こうした状況の中で、研究者たちが追求し始めたのは「人間の心を幅広く理解し、どんな状況でも予測・説明できる統合的なAIモデルを作ること」でした。
心理学や認知科学における様々な理論をつなぎ合わせ、またAIがもつ強力な情報処理能力を活用することで、「人間の心を丸ごとシミュレートする」という大胆な試みに挑戦したのです。
その試みの中核となったのが、今回ヘルムホルツ・ミュンヘン研究所の国際的な研究チームが開発したAIモデル「ケンタウル(ケンタウルス)」です。
ケンタウルという名前は、ギリシャ神話に登場する上半身が人間、下半身が馬という半人半馬の存在に由来しています。
これは、人間の柔軟な知性と、AIの強力な計算能力が融合した存在を象徴しているのです。
研究チームは、人間の心理や行動をAIに再現させるため、これまでにない規模で集められた大量の心理実験データを活用しました。
膨大な数の参加者が様々な状況で行った意思決定をAIに学ばせることで、人間のような行動を可能にするAIを目指したのです。
果たしてケンタウルは、どのようにして実際に人間そっくりの行動を身につけることができたのでしょうか?