そこまで汚くなかった下水
余談ですが、当時のトイレは汲み取り式が主流でした。
糞尿は業者が買い取って農村部に運び、それが農作物の肥料として使われていたことはよく知られています。
だからといって下水道に類するものがなかったわけではなく、江戸の街に張り巡らされていた堀や川が下水道の役割を果たしていました。
しかし今のように、そこに流れる水が汚いわけではなかったのです。
実際、江戸の町中のどぶは、幅が6~9尺(1.8~2.7メートル)もあったものの、深さは膝ほどで、さほど汚れたものでもありませんでした。
というのも江戸の町人の使う水の量は現代とは比べ物にならないほど少なかったのです。
なぜなら、水を得るには井戸まで出向いて汲み上げる苦労があった上、風呂にしても銭湯頼みであり、自宅で湯を沸かすなどとんでもない贅沢だったからです。
その上江戸の町人の水の扱いには「一滴も無駄にせぬ」という知恵が宿っています。
米のとぎ汁は床掃除に、残りは植木へ。長屋の台所から出た水も、樋や竹筒を通してどぶ川に流れ込み、さらにそのどぶ川が大通りの下水につながっているのです。
現代のように洗剤で泡立てることもなく、汚れも少ないから、江戸の下水は「汚水排除」よりも「雨水排除」が主目的でした。
しかも、江戸の町人は水を「ただ捨てる」ことさえよしとしなかったのです。
たとえば防火用の天水桶。町からは「3日に一度水を変えよ」というお触れが出ていたものの、入れ替えた水は路面に撒き、乾いた地面を湿らせることで、埃が舞うのを防いでいたといいます。
このように江戸の人々は、ありふれた水でさえ最後の一滴まで活かす知恵を持っていたのです。