2:睡眠時無呼吸症候群に薬で立ち向かう時代が来た

2-1:筋肉を刺激する新しい経口薬の登場
今回臨床試験で効果が確認された新薬「AD109」は、まさに上記の戦略を具現化した世界初の経口治療薬です。
AD109はアトモキセチン(atomoxetine)とアロキシブチニン(aroxybutynin)の2種類の薬を1錠に合わせた複合薬です。
アトモキセチンはもともと注意欠陥・多動性障害の治療薬として使われる成分で、脳内のノルアドレナリンという物質を増やす作用があります。
一方、アロキシブチニンは新規開発の抗ムスカリン薬で、体内のアセチルコリンの作用を一部抑える働きを持ちます。
この2つの成分がタッグを組むことで相乗効果を発揮します。
ノルアドレナリンは覚醒時に活発になる神経伝達物質で、喉の筋肉(特に舌を前方に押し出し気道を支える主力筋であるオトガイ舌筋)を収縮させる信号を伝えます。
通常、睡眠に入ると脳幹の舌下神経の活動が低下し、舌筋が緩んでしまいます。
そこでAD109を寝る前に服用すると、脳の舌下神経運動ニューロンを刺激して上気道の筋肉に送る信号を増強し、睡眠中も舌や喉の筋肉の張力を保つのです。
加えてアロキシブチニンが副交感神経系のムスカリン受容体をブロックし、睡眠中に起こる筋肉の過剰な弛緩を防ぎます。
このように「アクセル(ノルアドレナリン)とブレーキ解除(抗アセチルコリン)」の二方向からアプローチすることで、寝入りばなに喉の内径が保たれ、空気の通り道が塞がるのを防いでくれるわけです。
言わば「眠っている間、舌の筋トレを手助けする薬」とも表現できるでしょう。
患者にとっては就寝前に1錠飲むだけでよく、複雑な機器も不要なため、治療のハードルが大きく下がると期待されています。
2-2:大規模臨床試験(SynAIRgy)の成果
この新薬AD109の有効性と安全性を検証するため、米国のベンチャー企業Apnimed社は「SynAIRgy(シナジー)試験」と名付けた第3相臨床試験を実施しました。
SynAIRgy試験は、睡眠時無呼吸症候群治療薬として世界最大規模となる646人の参加者を対象に行われました。
参加者はアメリカとカナダの73か所の医療機関から集められ、男女比はほぼ半々(女性49.1%)で、人種や体格も多様な現実の患者層を反映していました。
重症度も軽症の睡眠時無呼吸症候群(全体の34.4%)、中等症(42.4%)、重症(23.2%)まで幅広く含まれており、既存のCPAPマスク治療に耐えられないか使用を拒否した成人患者が対象とされています。
試験では被験者を無作為に2グループに分け、一方はAD109錠(アトモキセチン75 mg+アロキシブチニン2.5 mg)を毎晩就寝前に服用し、もう一方は見た目が同じプラセボ(偽薬)を服用するデザインでした。
治療期間は6か月間と長期に及び、二重盲検下(患者も医師も誰が薬を飲んでいるか分からない状態)で効果が評価されました。
その結果、AD109群で主要評価項目を見事に達成しました。
治療群では無呼吸低呼吸指数(AHI)が平均55.6%低下し、プラセボ群と比べ統計的に有意な差が認められたのです。
(※ここの55.6%という数値は6カ月試験の速報値(トップライン解析値)であり、今後の試験結果の積み重ねで±数ポイント変動する可能性もあります。ただし「発作を半減させた」という臨床的結論が大幅に変わることはないと見込まれます。)
研究チームによれば、この改善効果は服用初夜から現れ、その後も6か月間持続しました。
また血中酸素の低下指標も大きく改善しました。
例えば、夜間の低酸素状態の程度を表す「低酸素負荷」は薬剤群で有意に減少し(p<0.0001)、酸素飽和度低下指数も有意に改善しています(p=0.001)。
さらに臨床的に意義の大きい指標として、約半数(51.2%)の患者で睡眠時無呼吸症候群の重症度分類が軽減し(例:重症から中等症へ改善)、5人に1人以上(22.3%)の患者ではAHIが5未満となり「完全に病状をコントロールできた」と報告されました。
驚くべきことに、患者の22.3%が薬のおかげで睡眠時無呼吸症候群が事実上解消したことになります。
これは睡眠時無呼吸症候群治療薬として極めて有望な成果です。
試験の主要評価項目であるAHI改善効果は、約1か月間の第2相試験(MARIPOSA試験)で示されたデータと同程度であり、今回の長期試験でそれが再現・確認された形です。
安全性の面でも良好な結果が得られました。
AD109投与群において薬剤に関連する重篤な副作用は一件も報告されず、全体として忍容性は高く、副作用は以前の短期試験で見られたものと同様の範囲に収まったといいます。
具体的な副作用の詳細はプレス発表では明らかにされていませんが、同種の薬剤に共通する軽度の血圧・心拍数上昇や口の渇き、一時的な不眠感などが一部で見られた可能性があります。
しかしこれらは想定内で深刻な問題とはならず、6か月の長期試験でも多くの患者が継続できたことから、安全性はおおむね確保されていると考えられます。