海馬に潜む記憶の亡霊を捕らえた

研究チームはまず被験者40名に、顔写真と物体のペアを合計96組見せて記憶してもらいました。
顔写真と物体(例えば、女性の顔とキウイフルーツなど)のペアは一度だけ提示されました。
約30分後、最初のテスト(カテゴリー判断テスト)を行い、顔写真を手がかりに、関連付けられていた物体が「有機物か無機物か」を二択で判断してもらいました。回答について「確信がある(覚えている)」「どちらとも言えない」「まったくの勘(忘れている)」の3段階で自己評価をしてもらいました。
その後、参加者は一晩睡眠をとり、24時間後に再度同じカテゴリー判断テスト(物体が有機物か無機物かの判断)を実施しました。その後、追加の認識テスト(顔写真と2つの物体から学習時の正しい物体を選ぶ二択テスト)を行いました。
この翌日のテストの実施については参加者に事前には知らせず、あえて自然な忘却を引き起こすよう工夫しました。
予想通り、24時間後のテストでは、30分後のテストに比べ「覚えている」と回答した割合が減り、「忘れている」と自己評価した割合が約39.8%から約50.8%へと統計的に有意に増加しました。
では「忘れている」と評価した記憶は完全に消失していたのでしょうか?
興味深いことに、参加者が「どちらとも言えない(unsure)」と自己評価した回答の正答率は、30分後に56.8%、24時間後に54.1%となり、いずれも偶然(50%)のレベルを統計的に有意に上回りました。
一方、「まったくの勘(guess)」と自己評価した回答では、30分後が約50.1%、24時間後は約49.4%であり、これは統計的に偶然レベル(50%)と差がありませんでした。
さらに、24時間後テスト終了直後に追加の「認識テスト」を行いました。
このテストでは、顔写真とともに「以前に見た正解の物体」と「別の学習時に提示された似た物体(ダミー)」を並べ、「どちらが学習時に正しく提示された物体か」を判断してもらいました。
この認識テストで「まったくの勘(guess)」と自己評価した回答の正答率は57.5%に上昇し、統計的に偶然のレベルを有意に上回る結果となりました。
このことは、本人が覚えていないと感じる記憶でも、その痕跡が脳内に残り、無意識的に行動を導いている可能性を示しています。
脳内では実際に何が起こっていたのでしょうか?
7テスラの超高解像度fMRIを使った解析によって、「覚えている」と確信した場合も、「どちらとも言えない(unsure)」ながら正解した場合も、共通して海馬の同じ領域が再活性化していることが明らかになりました。
つまり、意識的・無意識的を問わず、正しい記憶の想起は海馬の痕跡(エングラム)の再活性化に関連していると考えられます。
さらに個人差も明確で、海馬の活動パターンの特徴が、無意識的な「勘の正解率」と相関していました。
具体的には、右海馬のある領域では「勘で正解する確率が高い人」ほど特徴的な活動パターンが観察され、この関係は統計的に厳密な基準を満たしました。
また時間経過に伴う記憶痕跡の変化も検出されました。
「覚えていた記憶」の場合、30分後から24時間後にかけてエングラムが海馬から新皮質(大脳皮質の広い領域)へと再配置されました。
一方、「忘れていた記憶」のエングラムは海馬内にとどまり続け、新皮質への移行が進んでいませんでした。
この海馬と新皮質間でのエングラムの対照的な動きは、記憶研究の伝統的理論である「システム固化理論(systems consolidation)」を裏付けています。
この理論によると、新しい記憶は海馬で形成された後、時間をかけて新皮質へと移されて長期的に定着します。
今回の研究は、意識的な記憶保持には海馬から新皮質への移行プロセスが不可欠であり、そのプロセスがうまく進まなければ記憶は意識から失われてしまう可能性を示唆しています。