「男らしさ」という幻想を壊す
「男なんだから泣くな」「感情的になるのはみっともない」
そんな言葉を、子どもの頃に聞いた記憶はありませんか?
こうした考え方の中で過ごすと、男性たちはいつも強いプレッシャーを感じたり、劣等感を抱いたりするようになります。
フィル・レイン氏は、自身の子ども時代を「感受性が強く、読書や芸術を好み、すぐに疲れてしまう少年」と表現しています。
そんな自分を、「男らしくない」として批判された経験もあるといいます。
しかし現在、彼はセラピスト、著者、父親として、その「感受性」こそが最大の強みだったと振り返ります。

「男らしさ」は、固定された一つの形ではありません。
むしろ、その定義は人それぞれであり、社会や文化によっても異なります。
そのため、「“男らしい”って、誰が決めたのか?」と考えてみることは固定観念を打ち崩すのに役立ちます。
もし今のあなたが、感情的な表現をしたり、他人に助けを求めることに抵抗があるのだとしたら、それは「男らしさ」という幻想に縛られている可能性があります。
例えば、感情的な場面で泣いた経験を「弱さ」と思い込み、人前で涙をこらえた人がいるかもしれません。
しかし実際には、その場で涙を流すことが相手との共感を深め、信頼を築く第一歩となることも多いのです。
「男らしさ」の価値観を見直し、自分自身のあり方を再定義してみましょう。
そこから、自分らしく自然体で生きる人生が始まります。
ここまでで、男性が悩みやすい3つのポイントを考慮できました。
あなたが男性なら、これらの観点で自分の見方が狭くなっていないか、自問してみてください。
それは、自分を苦しめる鎖を断ち切り、本来のあなた自身と向き合う旅の第一歩になるはずです。
自分はそれで楽になるでしょうけど、社会や周りはそれを弱さと評価しますからね。
結局はそこに行き着いてしまうのが…。
男女平等と言いながらその平等の達成のために男女のカテゴライズとステレオタイプな役割がゴリゴリに固定化されていますからね。
何が男性らしくて何が女性らしいのかを定義しないとそれらを議論できないので。
男性でありながら女性らしい発想をするだとか、その逆であるとかはそれらの思想の想定外の存在でありアノマリーなので、普通に排除対象になってしまう現実がありますからね。
毎度どんな結果になるかちょっとも考ずにやっちゃって、指摘されると「誰だって間違えることくらいあるだろう?」といつも感情的に開き直るオジサンに手を焼いているのですが、そういうのはどうやると治せるのでしょうか?
「自分をさらけ出す」「男らしさという幻想を壊す」
これをやった男性が社会的に価値を認められず、包摂されることがないから問題になってしまうんですよね。
実際は「さらけ出していいんだよ、男らしさから降りていいんだよ(でもわたしたちはそんなあなたを評価しないけどね)」って括弧書きが付いているので。
いっさい社会との接触を絶った隠者や仙人になるというなら話は別ですが。
これって、「男性のせい」では…?
自己責任ってことになってますよね。
自然体でいられないのもその男性個人のせいだし、かといって危険や有事のときには男らしく勇敢にこどもや女性を守らなくてはいけない。
でもメソメソと泣くような男性が、有事になったら急に屈強な守護者になるってちょっと考えにくくないですか?