ナポレオン軍を壊滅させた「本当の病原体」が最新のDNA分析で判明
ナポレオン軍を壊滅させた「本当の病原体」が最新のDNA分析で判明 / Public Domain
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ナポレオン軍を壊滅させた「本当の病原体」が最新のDNA分析で判明 (2/3)

2025.08.05 18:00:12 Tuesday

前ページ発疹チフスが原因という説は本当に正しいのか?

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犯人とされていた発疹チフスは検出されなかった

犯人とされていた発疹チフスは検出されなかった
犯人とされていた発疹チフスは検出されなかった / 一般に、戦力の30%以上を喪失した部隊は、戦術的に“壊滅状態”と見なされるのが軍事学上の通例です。Credit:Canva

ナポレオンの軍隊を壊滅させた伝染病は本当に発疹チフスだったのか?

答えを得るべく研究チームは、1812年のロシア撤退中に病死したとされる兵士たちの遺骨が埋葬されたリトアニア・ヴィリニュスの集団墓地から、13名分の歯を採取しました。

歯は生前の病原体のDNAが残りやすいことから、歴史的な病気の調査に適した部位です。

研究チームはこの13人分の歯からDNAを抽出し、網羅的な遺伝子解析を行うことで、当時流行していた病原の正体に迫りました。

その結果、複数の兵士の遺骨からサルモネラ菌の一種(Salmonella enterica subsp. enterica Paratyphi C系統)のDNAが検出されました。

この菌はパラチフス(副腸チフス)という感染症を引き起こす病原体です。

パラチフスは腸チフスに似た高熱や腹痛、下痢などの症状を伴う病気で、汚染された食べ物や水を介して広がります。

また、別の兵士のサンプルからボレリア属の細菌DNAも見つかりました。

詳しい解析により、このDNAは回帰熱の原因菌であるシラミ媒介性回帰熱(Borrelia recurrentis)と判明しました。

回帰熱とは、体に寄生するシラミを媒介に広がる感染症で、周期的に高熱を繰り返すのが特徴です。

【コラム】「発疹チフス」と「パラチフス」は何が違うのか?

「チフス」とつく病気にはさまざまな種類がありますが、実はその原因や症状、感染の広がり方は大きく異なります。まず「発疹チフス」は『リケッチア』という細菌による感染症で、体についたシラミを通して感染します。発症すると高熱や頭痛が出て、体中に赤い発疹が現れます。この病気が「発疹チフス」と呼ばれるのは、この特徴的な発疹が現れるためです。特に戦争や災害などで衛生状態が悪化したときに大流行します。一方「パラチフス」は『サルモネラ菌』による感染症です。こちらはシラミではなく、本文でも触れたように主に汚染された水や食べ物から感染します。症状は高熱や腹痛、激しい下痢などで、体に発疹が出ることはほぼありません。「腸チフス」というよく似た病気の軽い症状版として位置づけられます。名前は似ていますが、「発疹チフス」はシラミが運ぶ病気、「パラチフス」は食べ物や飲み水を介して広がる病気というように、感染経路や症状が大きく異なるのです。ではもうひとつ、今回新たに注目された「回帰熱菌」とはどのような病気でしょうか?回帰熱は『ボレリア菌』というらせん状の細菌による感染症で、シラミが媒介します。特徴的なのは「数日間高熱が続いたあと一度熱が下がり、また再び高熱がぶり返す」ことです。この熱が繰り返し戻ってくる現象から、「回帰熱」と呼ばれています。抗生物質がない時代には特に深刻で、疲れ切った兵士にとって致命的になることも珍しくありませんでした。

また驚くべきことに、従来有力視されていた発疹チフスの病原体(Rickettsia prowazekii)や塹壕熱の病原体(Bartonella quintana)は、今回の13人の検体から一切検出されませんでした。

つまり、当時のナポレオン軍の兵士たちを襲った疫病は、従来「犯人」と考えられていた発疹チフスではなく、パラチフスとシラミ媒介の回帰熱であった可能性が極めて高いのです。

この結果は、歴史的な記録とも符合します。

実は、1812年当時にナポレオン軍の軍医J.R.L.ド・キルクホフが残した報告書には、

「オルシャ(現ベラルーシ)からヴィルナ(現ヴィリニュス)にかけて下痢が蔓延した。至る所の民家で見つけた塩漬けのビーツ(赤カブ)の大樽を、喉の渇きを癒すために兵士たちが飲み食いしたことが原因で、腸を激しく荒らした」

といった記述があります。

保存食のビーツ漬け汁は衛生状態が悪ければ細菌で汚染されていた可能性が高く、この描写はまさにパラチフス(サルモネラ菌による食中毒的な腸熱)の症状に一致します。

また、当時の兵士たちの遺体から大量のシラミが発見されていた事実も、回帰熱の流行と合致します。

つまり、ナポレオン軍を襲った見えざる敵の正体は、兵士たちが口にした食料(ビーツの漬物)に潜んだ菌と、衣服に湧いたシラミが媒介した菌だったのです。

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