発疹チフスが原因という説は本当に正しいのか?

ナポレオンのロシア遠征は、歴史上類を見ない悲劇的な結末を迎えました。
1812年6月、ナポレオンは「大陸軍(グランダルメ)」と呼ばれる巨大な軍勢を率いてロシアへと侵攻しました。総兵力はおよそ60万人にのぼり、当時としては空前の規模でした。
しかし、9月にモスクワを占領したものの、ロシア側は主要都市を放棄して焦土作戦をとり、フランス軍は補給を受けられないまま10月中旬から過酷な撤退を開始します。
そして12月にかけての退却の中で、ナポレオン軍は壊滅的な打撃を受け、最終的にフランスに帰還できた兵士は約5~10万人程度とされています。
歴史家たちの推計では、遠征に参加した約60万人のうち20万〜40万人が命を落としたとされ、その多くは戦闘ではなく、飢餓、極寒、そして「感染症」によるものでした。
特に感染症による損耗は死者全体の30~35%を占めているとされており、飢餓・栄養失調による死亡(25~30%)や低体温・凍傷(20~25%)、戦闘・事故(10~15%)、その他(5~10%)を上回る最大の要因となっています。
実際、当時の軍医や将校たちの記録には、兵士たちに蔓延していた病として「発疹チフス」(シラミが媒介する致死的な感染症の一つ)や下痢、赤痢、発熱、肺炎、黄疸など様々な症状が報告されています。
中でも発疹チフスは「戦争熱」とも俗称されるほど戦場で流行しやすい病であり、発掘調査で大量のシラミが遺体から見つかった事実などから、1812年当時の疫病の主因は発疹チフスであると長らく考えられてきました。
実際、2006年に行われた過去の研究では、歯のPCR分析によりチフス病原体(リケッチア)や塹壕熱の病原体(バルトネラ)のDNA断片が検出されたと報告されましたが、当時の技術的制約から、この結果には不確実性が残っていました。
その結果、ナポレオン軍を壊滅させた本当の感染症は何だったのか、歴史家の間でもはっきりと結論が出ていなかったのです。
こうした歴史の謎に挑むため、フランスのパスツール研究所を中心とした研究チームは、最新の「古病原体DNA分析」の手法で再調査を行うことにしました。
果たしてナポレオンの軍隊を壊滅させた伝染病は本当に発疹チフスだったのでしょうか?