「全然OK」は現代特有の「思いやり」の進化
「全然」という副詞は「全然〜ない」と否定を伴うのが正しいルールだとされてきました。
しかし現代では「全然OK」「全然いいよ」といった肯定用法が広く使われています。
これに対して「日本語の乱れだ」と苦言を呈する人もいますが、歴史と心理の両面から見ると、非常に面白い言葉の進化が見えてきます。
過去のルールへの「先祖返り」
もともと「全然」という言葉は、英語の “completely” のように「すっかり」「全面的に」という意味で、明治から昭和初期にかけては肯定と否定のどちらにも使われていました。
しかし昭和以降、学校教育などを通じて「下に打ち消しの言葉を伴う」という文法ルールで固定化されていきます。
これは昭和期から、学校の国語教育が体系化される中で、例外的な用法がない方が教えやすいという都合も要因の一つだったようです。
そう考えると、現代の「全然OK」という使い方は、かつての否定にも肯定にも使われていた用法へ先祖返りしているようにも見えます。
「強調」を求める言葉への変化
現在の全然は、昭和以降の打ち消しの意味から、言葉の意味を強調する表現へと変化しています。
このような本来否定的な意味を持っていた言葉が、その意味を逆転させて「強い肯定」の表現に変化する現象は、日本語においてしばしば起こります。
「すごい」: 本来は「恐ろしい、ゾッとする」という意味でしたが、現代では「すごい綺麗」のように肯定の強調に使われます。
「めちゃくちゃ」: 本来は「理屈が合わず、めちゃめちゃであること(否定的な状態)」ですが、今は「めちゃくちゃ美味しい」と強い肯定に使われます。
「全然」が肯定で使われるようになったのも、こうした言葉の強調変化の延長線上にあると言えます。
こうした「本来のネガティブな意味を壊してポジティブに使う」という言葉の変化は、強調表現として好まれるようで、言語の変化のパターンとしてはよく見られるものです。
単なる強調を超えた、現代の「配慮表現」
しかし言語学の研究によれば、現代の「全然いいよ」は単なる昔の用法の復活や、インパクトを狙った強調表現に留まらないようです。
「全然」の変化は、相手を気遣うための高度な表現の進化だと考えられるのです。
例えば、学校で「教科書貸してもらってもいい?」と人に頼み事をする場面を想像してみてください。
人に頼み事をする時、僕たちは「相手の領域に踏み込んで迷惑をかけてしまう」という心理的な負担(気兼ね)を感じます。
このとき、頼まれた側が単に「いいよ」と答えるのではなく「全然いいよ」と言うのには明確な理由があります。
文法的な「〜ない」という否定語は使っていませんが、その状況の裏にある「あなたに迷惑をかけてしまった」という相手のネガティブな気兼ねを、言葉の力で強く打ち消そうとしているのです。
現代の肯定文で使われる「全然」は、「私の負担は小さいから、あなたは気にしなくていいですよ」という、相手への思いやり(配慮)に特化した言葉として定着しています。
正しいとされる文法ルールを破ってでも、相手の心を軽くしようとする。
これこそが「全然OK」が現代社会で広く普及した大きな理由であり、言葉が人間関係に合わせて優しく進化した姿と言えるかもしれません。
誤用が「正解」に変わった例
言葉のルールやマナーが変わるだけでなく、明らかな「誤用」や「間違い」が、大きな支持を得て辞書に載る「正解」へと昇格することも珍しくありません。
言葉には、「少しでも楽に発音したい」という最小努力の原理が働きます。
そのため、言い間違いが定着して標準的な読み方に取って代わったという例もよく見られます。
「新しい(あたらしい)」:「新た(あらた)」という言葉あるように、 本来は「あらたしい(新た)」が正しい読みでしたが、発音の過程で「た」と「ら」が入れ替わる「音位転換」が起き、江戸時代頃には「あたらしい」が主流の読み方になりました。
「だらしない」: 本来は「しだら(自堕落)がない」が変化した言葉ですが、これも音が入れ替わって今の形になりました。
また、言葉には「みんなが使えばそれが正しい」という勢力の原理も働きます。漢字の読み間違いが広まりすぎて「慣用読み」として公認されたケースというものも数多く存在しています。
「消耗(しょうもう)」: 本来は「しょうこう」ですが、「耗」を「毛(もう)」と読み間違える人が続出し、現在では「しょうもう」が正解とされています。
「情緒(じょうちょ)」: これも本来は「じょうしょ」ですが、読み間違いが定着したものです。
「いまいち」: 本来は「今一つ(いまひとつ)」ですが、「ひとつ」を「いち」と読む方が広まって一般化しました。ただ、こちらは読み間違いというより「ひとつ」と言うよりも「いち」と発音した方が短くて楽なため、読み替えが広まったと言われます。
若者言葉、スラング、誤用は「乱れ」ではなく時代への「適応」
私たちが今「正しい美しい日本語」だと思っている言葉の多くも、おじいさん、おばあさんの世代では「最近の若者は言葉をめちゃくちゃに壊している」と嘆かれる対象だったはずです。
言い間違いや勘違いから生まれた「誤用」も、時代ごとの人間関係のニーズや、発音のしやすさ、コミュニケーション上の解釈といったフィルターを通過し、生き残ったものは「新たな正解(進化)」となり、辞書に載る正式な言葉になります。
歴史のスケールで言葉を観察すれば、「言葉の乱れ」という嘆きは幻影であり、実際には社会の要請に合わせて絶えず「適応」を繰り返している、極めて合理的でたくましい生命体としての言葉の姿が浮かび上がってくるのです。



























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